2019/11/25

知命の書

 今週五十歳になった。ここ数日、自分以外の人が五十歳くらいのころに書いた文章を読み返していた。

 久しぶりに古書善行堂の山本善行さんの『古本のことしか頭になかった』(大散歩通信社、二〇一一年)を手にとる。山本さんは一九五六年生まれ。この本で永田耕衣のエッセイ集を知って古本屋で探したけど、見つからず、そのまま忘れていたことをおもいだした。
 それにしても五十代に入ってからの古本熱がすごい。

《私の場合このように古本を買うことで自分を支えているみたいなところがあって、だからここのところが崩れると精神的にも苦しくなる。最近どういうわけか自分を支えすぎて(本を買いすぎて)、家に置けなくなり、こっそり実家に本を運んでいたのだが、それがとうとう見つかってしまったのだ。「二階の底がぬけるがな」と怒られたのだ。父は素人(?)なので、どのくらいの本で底が抜けるかわからないのだ》

 二〇〇六年三月の記。山本さんが古本屋をはじめるのはその三年八ヶ月後か。

 わたしが『sumus』に参加したのは二〇〇〇年の春——三十歳のときだった。山本さんや岡崎武志さんが当時四十代の前半で「四十代になっても、一冊百円するかしないかの本でこんなに一喜一憂できるのか」と畏敬の念を抱いた記憶がある。

 昔からわたしの古本熱には波がある。今年は仕事部屋の引っ越しもあり、夏以降今に至るまで、おもうように本が買えない状態が続いている。本の置き場所がもうないですよ。地方の格安の平屋の家を買うか、蔵書を売るか。ほかの選択肢はないか。天命を知るといわれる齢になっても迷いまくっている。

『古本のことしか頭になかった』のあとがきは何度読んでもいいなあ。頭がおかしい。