気がつけば十一月。どうにか月末の仕事を乗りきる。巖谷國士著『日本の不思議な宿』(中公文庫)を読んでいたら「桑名 船津屋」の章があった。以前、『フライの雑誌』に桑名の話を書いたとき、この本は未読だった。よくあることだが、原稿を書き終わったあとに「読んでおけばよかった」とおもう本に出くわす。
戦後まもなく永井龍男はわざわざ釣りをしに桑名に行っていた。たしかハゼ釣り。そのさい泊る旅館が船津屋だった。
泉鏡花の『歌行燈』の湊屋のモデルといわれる船津屋はもともと桑名宿の本陣だった。かつての桑名は東海道屈指の宿場町——その本陣といえば、さぞかし豪華だったにちがいない。三重には歌行燈といううどん屋のチェーン店がある。郷里の家から徒歩の距離に鈴鹿店もあり、何度か食べにいっている。良心価格でうまい。天ぷらもうまい。今、調べたら東京の新宿店や立川店もあった。
たまたま一昨日の深夜、仕事中にNHKのファミリーヒストリー(再放送)を観ていたのだが、桑名出身の瀬古利彦の回だった。父は海軍の衛生兵で戦場で九死に一生を得る経験をしている。
鈴鹿にいた高校、予備校時代のわたしは桑名を素通りして名古屋に遊びに行っていた。ここ数年は頻繁に桑名界隈を歩き回っている。
東海道においては、宮(熱田)と桑名は「七里の渡し」といわれ、船で行き来した。さらに伊勢湾は木曽三川の河口でもあるから、陸路、水路ともに交通の要所だった。
桑名宿の研究をしている郷土史家がいたら、いろいろ話を聞いてみたい。