水曜夕方神保町、神田伯剌西爾でマンデリン。JR中央線お茶の水駅から高円寺を通過して西荻窪の音羽館へ。村上文昭著『耕治人とこんなご縁で』(武蔵野書房、二〇〇六年)などを買う。耕治人は野方に住んでいた。野方は西武新宿線沿線だけど、高円寺からも徒歩圏内である。
耕治人が亡くなったのは一九八八年一月。享年八十一。
『耕治人とこんなご縁で』には、著者以外の追悼文もいくつか収録されている。斎藤国治の「耕治人君と『丘』」にこんな一節があった。
《西武野方駅からそう遠くない耕君のお宅には一度だけお邪魔したことがある。静かなお住まいで奥様はお元気でおられた。野方は福原麟太郎先生がおられたのですぐ判った。あの頃の耕君はご夫妻ともお元気であった》
一年くらい前に西部古書会館で買った福原麟太郎のあるエッセイ集に本人の名刺が貼られていたことがあった。その住所も野方だった。こういうのはちょっと嬉しい。
福原麟太郎には『野方閑居の記』(新潮社)という函入りのきれいな本(野口弥太郎装丁)もある。
福原麟太郎は一九八一年一月没。享年八十六。
ひまなときに野方を散策したい。
話は変わるが、音羽館の帰り道——北口から南口に抜け、荻窪まで歩いてささま書店に寄って高円寺に帰るつもりだった。
神明通りという明るい道があり、荻窪駅方面のバスが走っていた。南東に斜めの道で荻窪駅からは確実に遠ざかっている気がしたが、そのまま歩く。
しばらく歩くと大宮前体育館というところに出た。このあたりでバスが左折している。地図を持たず、夜の道を歩いていると不安になる。方向感覚がわからなくなる。適当に斜めの道を歩き、適当に曲る。すると与謝野公園に出た。与謝野鉄幹、晶子夫妻はかつて荻窪に住んでいて、すこし前にその終の住み処が公園になっていることを知って、何かのついでに行ってみようと考えていたのだが、まさか道に迷って夜の九時前にたどり着くことになるとはおもわなかった。
結局、ささま書店の営業時間までにはたどり着けず、そのまま高円寺まで歩き、ペリカン時代で飲む。
店に入ると根岸哲也さんとその親族の方々が飲んでいて、橋本治の杉並の実家の話を聞かせてもらう。近所だったらしい。