2021/03/18

羅針盤

 思考の筋道を正確に書こうとすると、話があちこちに飛ぶ。わたしは中村光夫の批評が好きなのだが、読んでいるとけっこう振り回される。書きながら考え、考えながら書く人だからだろう。

《人間は元来、群をなして生きる動物です。だから僕らの意識は群のなかで自分の占める地位を、いつも鋭敏に感じるようにできています。
 僕らが行動する場合にも、自分の考えにしたがうより、他人の考えによることが多い、というと逆説めきますが、あることをするとき、それが自分の眼にどう映るかより、他人たちにどういう効果を生ずるかを考えるのは、僕らにとって、自然なことです》(「自分は大切か」/中村光夫著『秋の断想』筑摩書房、一九七七年)

「自分は大切か」は、近代における個人と集団の関係を論じたエッセイである。自分の行動の規範を持つには、船でいうところの羅針盤がいるという。

《群居する人間が、自分のなかに行動の基準を持たず、もっぱら他人の指図にしたがい、あるいは彼らを模倣して行動するのは、ちょうど、船隊の一隻として進む船のようなものです。こういう生き方をする人々は、彼らの内面に規準を持たなくとも、他人に倣っていれば、誤りなく目的地に、比較的骨を折らずに達することができます。全体の動きを導く指揮者は、彼自身より錬達である場合が多いからです》

《各自の羅針盤を持つということは、このような全体の動きから自分を切り離し、独自の進路を自分の判断できめて行くことで、たんに骨が折れるという点から見れば、前者よりずっと厄介な仕事なのです》

 さらに中村光夫は「自分」を「多くの他人の影響の複合体」と定義する。

《自分の内心の声を聞いたつもりでも、実は時代の流行を追っていたにすぎないという経験は、おそらく誰にもあるでしょう》

 中村光夫は「誰にもあるでしょう」というが、たいていの人はそのことに気づかない。

 話はズレるかもしれないが、自分の羅針盤——自己判断は絶対ではない。わたしもそうだが、自己本位で何でもかんでも選択、決断しがちな人は、周囲の人の助言や苦言を無視する傾向がある。病院に行かず、症状が悪化するまで放置したり、次の職のアテがないのに急に仕事をやめたり……。

 自分の羅針盤をちゃんと機能させるには、知識や経験だけでなく、自分の得手不得手、向き不向きを知る必要がある。自分の判断を過信せず、時には周囲の意見とすり合わせていくことも大事だ。

 中年になると、自分が間違った方向に進んでいても、忠告、注意してくれる人がだんだんいなくなる。気をつけないと。