2021/05/27

努力か余力か

 火曜日、ラジオを聴きながら掃除。東京・練馬の最高気温は三十度だった。本の山から野村克也著『裏読み』(KKロングセラーズ、一九八四年)が出てきた。

「『すべてに全力を出す』の裏にあるもの」は、雨の阪神-巨人戦(甲子園)の話。この試合は七回終了でコールドゲームになった。一九八四年五月十三日の試合だろう。

《その五回表の巨人の攻撃で、打席に入った西本投手が一生懸命、ヒットを打とうとしているのです》

 五回表、巨人リード。裏の攻撃を抑えれば試合は成立し、いつゲームが中断しても西本投手は勝利の権利を得る。雨天の試合で自分たちのチームがリードしている局面では、まず試合成立を優先することがセオリーだ。ところが西本投手はピッチャーであるにもかかわらず、打席でヒットを打とうと全力プレーした。野村さんはその真面目さを微笑ましくおもいつつも「状況を的確に判断してほしい」と助言する。

 また「真面目人間ほど陥りやすい『穴』とは」では、西本選手が投球練習やランニングでも手を抜かないことについて。

《考えてもみてください。西本投手がいまさら、ブルペンで、汗みどろになって投げ込んで、なんのプラスがあるでしょうか。
 これ以上、速いストレートがマスターできるわけでもない。コントロールという点では、球界でも現在の投手の中でも指折りです》

 西本投手が夏場、調子を崩すのは練習のしすぎでコンディションの管理が疎かになっているから、というのが野村さんの分析である。

《それなら、マウンドへ上がるために、いいコンディションさえつくれば、結果は自然とついてきます。それに、ヘバるほど練習しても、たいしてプラスはありません。かえって、マイナスのほうが多いのです》

 当時の西本投手は二十七、八歳。毎年のように二桁勝利していたころだ(ちなみに、この年は十五勝十敗)。ガムシャラに練習することがプラスになるのは何歳くらいまでなのか。個人差はあるとおもうが、三十代になれば、疲労の蓄積がマイナスになる。
 いっぽう西本選手の場合、人並外れた練習量が自信や体力の強化につながり、長く現役で活躍できた——という可能性もある。

 二十代と三十代、三十代と四十代でコンディションの維持の難易度がちがう。年々、心身に負荷のかかる努力がきつくなる。そもそも万全なコンディションなんてない。中年になると、努力と同じかそれ以上に余力が大事になってくる。やりたくても全力プレーができなくなる。余力を残しながら努力するしかない。