2022/08/18

大きな賭け

 土曜日、台風接近。小雨になった隙に西部古書会館。佐藤正午著『象を洗う』(岩波書店、二〇〇一年)の署名本かもしれない本を買う(アルファベットの「S」の字以外は解読できず。本人の直筆かどうかわからない。日付入り)。収録作は九〇年代前半の随筆が多め。文庫は持っていたが、単行本で読むと味わいがちょっとちがう。

『象を洗う』に「賭ける」という随筆がある。初出は『図書』二〇〇一年十月号——。

 二十代後半の二年間、後のデビュー作となる小説の執筆に捧げた。その行為は「大きな賭け」だった。
 しかし四十六歳の佐藤正午は、当時の気分を「忘れかけている」。

《若い僕は大きな賭けをして小説家になった。
 それは認めようと思う。ただ、そこから先の長い長い道のりもいまの僕は知っている。勝利の自信を持って歩き始めたはずの道が、勝ち負けの見えない深い森へとつながっていたことも知っている》

 二〇〇〇年代の前半に刊行された佐藤正午の随筆『ありのすさび』『象を洗う』『豚を盗む』(いずれも光文社文庫)は再読頻度の高い本になっている。
 わたしが電子書籍の端末を買ったのは二〇一三年一月(生まれてはじめてクレジットカードを作った)。そのころ日本のエッセイ集の電子書籍はまだ千冊あるかどうかといった感じだった。
 それでなんとなく佐藤正午の随筆を買った。そしてすぐ紙の文庫で買い直した。

 現在、電子書籍の端末は三台目である(前の二台も用途別に現役活用中)。電子書籍で買うのはほとんど漫画だ。一冊の本の中のどのあたりに何が書いてあったか。紙の本だと手にとって、パラパラ頁をめくっているうちにおもいだせる。電子書籍だと頭と手の連動がうまくいかず、記憶が作動しない。
 もっとも近年は紙の本でも記憶は怪しくなっている。たぶん読書の集中力が落ちているのだろう。

 久々に「賭ける」を読み、これまで自分は「大きな賭け」をしてきたかと考える。大学を中退し、フリーで生きていこうと決めたときは人生を賭けてその道を選んだつもりだった。でも不安定な生活も続けていれば、いつかは日常になる。賭けに負けることもあれば、賭けを避け続けて行き詰まることもある。恋愛やら結婚やら転職やらどこに住むかやら、大小さまざまな賭けがある。

……ここまで書いて筆が止まり、二駅分くらい散歩してきた。