2022/08/29

余地

 夜、涼しくなってきたが、湿度がきつい。なんとなく「八月中に」とおもっていた仕事がたまっている。昼寝夜起生活を数日かけてどうにか調整する。

 金曜日、午前中、郵便局に行って、そのまま散歩していたら西部古書会館の赤いのぼりがちらっと見えた。高円寺の古書展はだいたい土日なので、平日開催の日はよく忘れてしまう。寄ってよかった。
『水木しげる 妖怪道五十三次』(YANOMAN、二〇〇四年)を買う。新装改訂版ではなく、元のほう。地方の文学館や記念館のパンフもいろいろあった。それにしても正岡子規関連のパンフレットは何種類(何十種類)あるのか。この日も二冊買った。
 書画、原稿、手紙、初版本。一読者としてはありがたいが、文学展のパンフレットを一冊作るのにどれだけの時間と労力がかかるか(とくに年譜を作るのは大変だ)。
 自分がふだん読まない作家、ジャンルでも文学展パンフは面白い。一人の作家が生きた時代や交遊がすこしでも知れたら、それでいい。

 午後、本の雑誌社へ。対談。いちおう話すことに困ったとき用のメモを作って鞄に入れていたのだが、一度も出さずにすんだ。夜、tvk(テレビ神奈川)でナイターのヤクルト対横浜戦を観る。今年のペナントレースは、中盤あたりまでヤクルトが首位を独走していたが、横浜が猛追——。すこし前に燕党の知り合いと「九七年のシーズンを思い出すねえ」といった話をした。「あのときは石井一久のノーヒットノーランで……」。

 何十年もファンをやっていると様々な記憶の堆積がある。野球もそうだし、本を読んだり、音楽を聴いたりしていても、気がつくと過去と対話している。その分、新しいこと、守備範囲外のことを受け容れる余地が減る。興味の持てないことに労力や時間をつかえなくなっている。そのあたりが五十代の課題か。むずかしい。