六月のある日、西部古書会館で岡崎武志さんと立ち話中、「今度、山本(善行)が三重で喋るらしいで」と教えてもらったのだが、その日は翌日だった。今年四月にオープンしたばかりの三重県津市久居のHIBIUTA AND COMPANYのイベント——。
二十三日(金)から三泊四日で三重に帰省(一泊は京都)していた。
行きは小田急で小田原、JR東海道本線で三島まで行き、そこからこだまで浜松、再びJRに乗り、蒲郡で途中下車、名古屋でJR関西本線に乗り換え、JR桑名駅で中原中也の「桑名の夜」の詩碑を見て、アピタでスガキヤラーメン(肉入)を食い、鈴鹿の郷里の家に帰る。初日からけっこう歩いた。
街道に関しては東京と三重の間の東海道、中山道、甲州街道+脇街道を軸に研究し、あと三重県の隣接県の宿場には行けるだけ行こうとおもっている。
翌日はすこしのんびりしようと家の掃除、鈴鹿ハンターで衣類などを買う。ハンター内の喫茶ボンボン、麺類、丼、定食のメニューが充実している。
二十五日(土)、早朝、郷里の家を出てJR関西本線の河曲駅に行く(道をまちがえて一時間くらいかかった)。途中、川神社という神社があった。亀山駅で降り、すこし散歩する。亀山から貴生川駅に行き、近江鉄道に乗り換え、日野駅へ。滋賀県の日野町は三重とも関わりが深い。日野は東海道と中山道をつなぐ脇街道の町で伊勢神宮に向かう「伊勢道」と呼ばれる道の追分もある。
しばらく歩いて再び貴生川駅に戻り、京都に向かう。すでに汗だく。御陵駅の近くの駐車場でシャツを着替える。
ひさしぶりの古書善行堂。そのあと『些末事研究』の座談会のため、五条のcafeすずなりに移動する。
善行堂に行く前にホホホ座に寄り、南野亜美、井上梓著『存在している 編集室編』(日々詩編集室、HIBIUTA AND COMPANY、二〇二三年)を買う。店長の山下さんに他の日々詩編集室の冊子も見せてもらった。
わたしが上京したのは一九八九年の春だけど、郷里にいたころ、三重にいながら何かをする発想はなかった。
七年前の五月末に父が亡くなり、それから東京と三重をしょっちゅう行き来するようになり、街道や宿場町に興味を持つようになった(きっかけは武田泰淳著『新・東海道五十三次』中公文庫)。
わたしは車の免許を持っていないので帰省すると父が運転する車であちこち移動していた。父がいなくなってからは電車+バス+徒歩で県内をうろつくようになり、しだいに地元のよさを知った。山も川も海もそして道も面白い。
読んで知ること、歩いて知ること、どちらも大事だ。五十代になって、できないことも増えてきたが、若いころより自分に足りないところがよく見えるようになり、それをどう補うかについて考える時間が増えた。自分の足りないもの——それが歩くことだったのかもしれない(もしくは車の免許かもしれない)。
今回三泊四日の旅で十万歩ちょっと歩いた。両足にマメができた。