2023/07/06

命なりけり

 JR中央線で御茶ノ水駅に行き、神保町を散策して神田伯剌西爾でアイスコーヒー。福原麟太郎著『天才について』(講談社文芸文庫、一九九〇年)を再読する。『野方閑居の記』(新潮社ほか)所収の「或る日曜日」は「ひどく暑い朝である」という書き出しから、文芸評論家の青野季吉が亡くなった話になる。
 青野季吉は一九六一年六月二十三日没。享年七十一。
 福原麟太郎と青野季吉は戦後まもなく「風雪」という文芸誌の座談会で知り合った。一八九〇年生まれの青野は福原より四つ年上である。
 その後、青野が亡くなる四年くらい前のこんな逸話を紹介する。

《私が、『命なりけり』という随筆集を出した時、やや激しい口調で「なりけり」というような生活態度はいけないと思いますね、とはっきり言って下さった。これは「命なりけり小夜の中山」という西行法師の歌から借りたものであったから、西行的な世界観を否定する意味もあったであろう》

「或る日曜日」の初出は「放送文化」(一九六一年八月)で青野季吉が亡くなって、そう月日が経たないうちに書かれたものだ。

『命なりけり』の単行本は文藝春秋新社から一九五七年十月に出ている。
「命なりけり小夜の中山」の小夜の中山(静岡県掛川市)は、東海道の三大難所(あと二つは箱根、鈴鹿峠)の一つで金谷宿と日坂宿の間にある。
 西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」という歌は晩年の作品——平安? 鎌倉時代? 「命なりけり」は『源氏物語』の「桐壷」の一首「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」も有名だろう。『源氏物語』の最初に出てくる和歌である。

 福原麟太郎の「命なりけり」の表題エッセイは闘病記(心臓の手術後のリハビリ記)でもあるから、わたしは青野季吉の「『なりけり』というような生活態度はいけない」は西行の否定ではなく『源氏物語』の「命なりけり」が頭に浮んでいたのではないかなと……。勝手な想像ですけどね。

 夜七時前、神保町から帰り道、市ケ谷まで歩いた。夕焼けがきれいだった。途中、一口坂の小諸そば(市ケ谷店)で鴨ステーキ丼セット(丼+冷たい蕎麦)を食う。鳥からうどん以外のものを食べるのは久しぶり。当初は快速が止まる四ツ谷駅まで歩くつもりだったが、小諸そばで満腹になったので市ケ谷駅で電車に乗った。