2023/08/13

富士川渡る

 金曜、近所の郵便局に行ったら閉まっていて、休日(山の日)と知る。そのまま中野まで散歩し、帰りにヨークフーズ with ザ・ガーデン自由が丘中野店(……正式名称、知らなかった。以前はイトーヨーカドーだった)で食材を買う。

 土曜の昼、西部古書会館。ガレージのところで「少年少女名作全集」(講談社)が大量に出ていた(百円)。坪田譲治訳『源平盛衰記』(一九六〇年)の巻を買う。ビニカバもきれい。美本。
『源平盛衰記』——富士川の戦い、墨俣川の戦いなど、それぞれ川の両岸に陣取り、攻防を繰り広げる場面がちょくちょくある。

 榎原雅治著『中世の東海道をゆく』(中公新書)の富士川に関する記述を読む。

 中世の富士川の河口——飛鳥井雅有の『春の深山路』は「富士河は袖がつくほどの浅さで、心を砕くほどの浪もない。多くの瀬が流れ分かれている中に家が少々ある」と記す。

《弘安三年(一二八〇)十一月に雅有の渡った富士川は、衣の袖がつく程度の浅い流れで、たいした波もなかったのである。そのかわりに多くの流れがあり、「せきの島」と呼ばれる中州には家も点在していたのである。また『十六夜日記』にも「富士川渡る。朝河いと寒し。数ふれば十五瀬をぞ渡りぬる」とあり、富士川の下流が多くの流れに分かれていたことが知られる》

 鎌倉時代の富士川の河口は時季によっては歩いて渡ることができたようだ。すこし前に「田子の浦」で「富士川は船で渡るしかない」(二〇二三年八月四日)と書いたが、『十六夜日記』のころは、そうではなかったことになる。

 先週、書店まわり中、島内景二著『新訳 十六夜日記』(花鳥社)が出ていることを知った。今年の六月刊。目次に「東海道の旅の日録」の章がある。『新訳 更級日記』も気になる。

『十六夜日記』の阿仏尼は醒が井を通り、美濃に入る。中山道の醒ケ井宿は一度歩いたことがある。至るところに水路があるきれいな町だった。
 美濃と尾張の境の洲俣川(墨俣川)は、川に舟を並べた浮橋を渡った。

 これまで縁がなかった地域の歴史や地理を知る。街道趣味の副産物といえるかもしれない。今度三重に帰省したら、岐阜に足をのばし、墨俣のあたりを歩きたい。