二〇〇六年八月にブログをはじめて十七年。十七年、中途半端な数字だなとおもったのだが、ライターの仕事をはじめたのは一九八九年六月だから三十四年——ちょうど半分だと気づいて、あらためて自分以外にはどうでもいい話だなとおもった。
ふとおもいだしたのだが、二〇〇八年夏、酔っぱらって懐中時計をなくし、しばらくそのかわりになるものを探していた(わたしは腕時計しない派)。あるとき旅先の文房具店でタニタの万歩計を見て時計の機能があることを知り、日々の歩数がわかったら面白そうだなと……。というわけで、万歩計生活は十五年になる。万歩計を持つようになってから散歩の時間が増えた。
あの日、懐中時計を落とさず、そのまま持ち続けていたら、今とはちがう人生になっていたのかもしれない。たいしたことではないが、それなりの時間を経てふりかえると、ものすごく些細なことがその後の人生を左右していることがある。
話は変わるが「どこそこに行きたい」みたいなことを書くとそこを訪れる確率が高まるような気がする。あと人名や地名を書くと、いろいろな本を読んでいるときにその言葉が目に入りやすくなる(ふだんはびっくりするくらい読み飛ばしている)。
しょっちゅう「晴れの日一万歩、雨の日五千歩」と書くのも、それによって意識や行動が変わるのではないかと考えているからだ。何とかの法則みたいな話だが、今は言葉が自分を動かしている感じだ。年をとって各種の欲が衰えたせいか。もともとそういう傾向があったのか。
思考が漠然としてきたので今日はこのへんでやめる。