2023/08/01

旅の途中

 話が尻切れトンボになったり、その日買った(読んだ)古本によって話題が変わったり、このブログは散歩の途中のメモくらいの気分で書いている。
 いろいろ道草をしてそこから取捨選択をして……という地道な作業を経て一本の原稿になる……ときもあればならないときもある。

 昨晩、「『更級日記』の話はもう書かないのか」と旧知の編集者にいわれた。すこし前に『更級日記』の名古屋以西のルートを調べていた。六月、京都に行った帰り、大垣駅から岐阜羽島駅までのバスに乗った。岐阜羽島駅からはじめて新幹線に乗った。『更級日記』は途中、大垣市の墨俣を通っている。墨俣といえば木下藤吉郎の一夜城で知られる土地だが、昔から交通の要所だった。

『更級日記』の作者は三重を通る江戸の東海道ではなく、名古屋から西は美濃路+中山道に近いルートを経て京都に向かったとおもわれる。東海道は時代によってコースが変わっている。それを調べるだけでも時間がいくらあっても足りない。

 久保田淳編『日本古典文学紀行』(岩波書店、一九九八年)所収「火の富士と田児の浦」(高橋良雄)に『更級日記』の富士山の火山活動に関する記述の引用あり。『十六夜日記』にも「ふじの山を見れば煙もたゝず」という箇所がある。

 大町桂月に「近藤重蔵の富士山」という随筆がある。

《『田子の浦ゆ打出でて見れば眞白にぞ富士の高根に雪は降りける』。古来富士山を咏じたる詩歌多けれども、これより以上の名吟あるべしとも思われず》

 桂月が紹介しているのは万葉集の元歌。新古今の田子の浦と富士の歌は「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」となっている。わたしは新古今の歌のほうがなじみがある。

 大町桂月もあちこちの街道を歩いている。