2025/03/06

三寒四温

 三月二日、日曜、小田急で小田原駅、在来線で熱海駅。小田原〜熱海間の車窓が好きなのでこの区間はなるべく在来線に乗りたい。熱海駅は改札を出てすぐのところに足湯(家康の湯)もある。当然、浸かる。駅前の格安チケットの自販機で浜松までの新幹線の自由席切符を買おうとおもったら売り切れ。熱海〜名古屋の切符はあったので、こだまで名古屋まで行く。
 昼前、名古屋駅のエスカ地下街を散策。昨年七月に復活したスガキヤの新店舗に行くと半額サービス中で大行列だった。諦める。
 JRで岐阜駅へ。名古屋〜岐阜間は名鉄のほうが運賃が高い。「岐阜駅本の市2025」に行く。古書ますく堂さんを見かけたので挨拶。文庫サイズの『なまけもの雑記 増田啓子のバラエティブック』(なまけもの文庫、二〇二四年)購入。メイン会場は大盛況——三省堂編『にっぽん「独立国」事典』(三省堂、一九八五年)と街道資料四冊。中山道を十五分ほど歩いて岐阜駅に戻る。
 関西本線で四日市駅、アーケード商店街内の東海道をすこし歩いてスーパーサンシで調味料(伊賀越の小さな醤油など)、ビールと夜食を買い、近鉄百貨店四日市店の歌行燈で鶏南蛮うどんときのこ天丼のセット(茶碗蒸し付)を食べる。歌行燈は郷里の家の徒歩圏にもあるが、近鉄百貨店の店は駅から直通なので楽。同店のうどんのだしのパックも買う。

 この日は最高気温二十度以上。移動中、上着はカバンに入れていた。
 家に帰って荷物を置き、港屋珈琲でアイスコーヒー。夜、家の掃除(カビとりなどをする)。

 三日、急激に冷える。最低気温四度。雨。
 母と港屋珈琲でモーニング。家に帰り、韓国の時代劇(二本立て)を見る。話の筋はわからないが、顔芸で悪役が誰なのかはわかる。昼、飯野神社に行き、そのあと鈴鹿ハンター内のブックオフ、カレーハウスDONでテイクアウト。夕方くらいまで散歩。名前の付いた道ではないが、中央道路のすこし北の神戸城跡や寺社が並ぶ旧街道っぽい道を歩く。おそらく伊勢街道の神戸宿(神戸城)と東海道の亀山宿(亀山城)を結ぶ脇街道のような道だったのではないかと想像する。平田町駅の先は工場やショッピングモールなどが建っているので旧道っぽい道は途切れてしまうのだが、途切れた先の鈴鹿環状線(県道54号)の周辺には国府城跡(ちょっと離れている)や寺や神社もある。鈴鹿川の鈴国橋の南のほうには古墳がけっこうある。

 鈴鹿は「道の神」猿田彦大神の総本宮の椿大神社もある。同神社が伊勢の国の一の宮ということは大人になってから知った。

 二〇一六年五月に父が亡くなったあとも椿大神社にとりめしを食べに行った。そのころから街道歩きをはじめた。きっかけは武田泰淳の『新・東海道五十三次』(中公文庫)を読んだことで、同書に鈴鹿サーキットも出てくる。「道の神」に導かれたのか。

 最初のころは道標や一里塚などを探して歩くのが楽しかったが、今は街道沿いの地形に興味が移った。

 四日、雨。おじの車でメガドンキ(鈴鹿店)のフードコートのスガキヤへ。肉入ラーメン。この日、雪予報で電車が心配だったので早目に東京に帰る。郷里の家で見ていたテレビで東名高速は「予防的通行止め」のニュースが流れていた。
 名古屋からは、のぞみではなく、ひかりの自由席に乗る。けっこう空いていた。

 (追記)もともと三寒四温は冬の言葉らしいのだが、日本では寒暖差の激しい三月はじめにつかわれることが多い——とのこと。

2025/03/02

個性の宿命

 三月温暖(また寒くなるという予報も)。部屋の掃除中、松本清張著『実感的人生論』(中公文庫、二〇〇四年)が出てきたので、パラパラとつまみ読み。同書の「小説に『中間』はない」にこんな一節があった。

《作家の才能の素質は、言葉の便利の上でいえば、私小説的な構成の型と、物語的な構成の型とに分けてよかろう。これは作家の個性の宿命である》

 この傾向は書き手だけでなく読み手にもあるようにおもう。たぶんわたしが私小説や身辺雑記を好むのは、そういう「型」が自分に合っているからだろう。

 自問自答がしたくて本を読むことがある。物語を読むときは、ストーリーを追うことに専念したいので、自問自答が少なくなる。もちろんそれはそれで楽しい。現実逃避は嫌いではない。

「私小説的な構成」と「物語的な構成」——仮説としてはいつ読んだかも関係しているかもしれない。
 十代のころ、家や学校など環境面の不具合で悩んでいたときは「ここではないどこかへ」誘ってくれるような荒唐無稽な話を好んでいた。
 私小説に傾倒するようになったのは二十代後半——仕事がなく、金がなく、人間関係その他失敗続きの時期である。私小説の「私」は不遇なことが多いので、その考え方、感じ方がよくわかるし、身につまされるわけだ。気分も沈みがちだから、長い作品が読めない。その点、私小説は短編が多い。それもよかった。

  わたしの場合、尾崎一雄がそうだった。作家ごとに生活の立て直し方、あるいはダメになり方がある。わかっていてもどうにもならない。どうにもならないことは諦め、どうにかなることに活路を見出す。どう力を抜くかみたいなことも病気がちな作家に学ぶところが多かった。学んだからといって、生活が向上するわけではないが、ちょっと楽になった。