過去と現在の町や道を知りたい。そこから未来のことも考えたい。五十歳になる手前あたりまでは、散歩中、自分のことばかり考えていた気がする。人も町も変わっていく。この先の変化がよい方向に進んでほしい。そんなことをおもうようになった。
《先日、国立市の富士見通りのマンション解体のニュースがあったが、わたしは高円寺駅から見える富士山を隠す建造物ができたら、すごくいやだ。でも国立市のような反対運動は起きないだろう》(「かくしあらば」/文壇高円寺 二〇二四年六月十七日)
《ここのところドコモタワーやスカイツリーを見る話を何度となく書いている。風景は誰のものか。最近そういうことを考えている》(「一万八歩」/文壇高円寺 二〇二五年四月三十日)
谷根千の「夕やけだんだん」のところにマンションが建設中という話題が賛否(否が多め)を巻き起こしている。
もしこのマンションが完成すれば、この先、景観破壊の象徴として類似の件が取り沙汰されるたびに、何度となく蒸し返されるだろう。
その町に暮らす多くの人が親しんできた景色を消し去る。自分が暮らしている町にそれが起こったときのことを想像する。
冬の晴れた日、高円寺駅のホーム(阿佐ケ谷駅寄りの端っこ)から富士山が見える——富士山が見えることは高円寺に住み続けている理由ではない。でも見えなくなったら悲しい。夕焼けは馬橋公園から阿佐ヶ谷神明宮に向かう斜めの道(やや下り坂)がきれいである。あと中野区大和町から若宮にかけての妙正寺川沿いの道も夕焼けを見るため、よく散歩する。
散歩を続けているうちに知らなかった道を知る。好きな場所が増える。名前もついていないような通りの樹木、風景が大切になる。
最近、高円寺図書館とすぎはち公園がお気に入りの場所になった。高円寺駅から行くなら南中央通りの「杉並八小北」の信号をそのまま南に進んで突き当たりのすこし手前の東の道(郵便ポストあり)に入る道がわかりやすいかも。すぎはち公園の「すぎはち」は杉並区立第八小学校からとっている。
図書館の三階の階段を登ったところの窓から東京スカイツリーが見える。図書館は午後九時までやっているので、光るツリーも見える。すぎはち公園の隣には福寿院——池田英泉(渓斎英泉)の墓がある。福寿院の周辺は道に迷いエリアだとおもう。行き止まりの道がいくつかある。昨日、ひさしぶりに英泉の墓をお参りした。前は遠回りしないと行けなかったが、すぎはち公園を通ると近い。
高円寺界隈は空が広く見える場所が少ない。すぎはち公園は原っぱ感がある。高円寺図書館のテラス(二階と三階にある)、冬季に快適な日向ぼっこができそうだ。
すぎはち公園の周りは墓が多く道が暗いので夜の散歩には向いていない。たまに散歩しているが、ちょっと心細い。