すこし前に『大闘論 われらの戦後30年——ドキュメント・のんすとっぷ24時間』(編集JJC、講談社)という昭和五十年八月十三日に新宿コマ劇場で行われた徹夜集会の模様を収録したムックを買った。
この本の中に合化労委員長で元総評議長の太田薫と阿佐田哲也の対談(司会は前田武彦)が収録されていて、「なぜこの二人が?」とおもいながら読んでいたのだが、話が噛み合っているようで噛み合っていないところもふくめて面白かった。
《前田 なにか太田さんの書いた本の中に、麻雀の駆け引きといわゆる労働運動の駆け引きという議論があったそうですね。
太田 うんまあ、ありますけどね。やはり労働運動かて、賃上げならね、また来年上げるいうことがありますけど、首切りの反対闘争の時にはね、ギャンブル的なことやっちゃダメですね。正攻法でいかないと……。そんな博奕打つようなことして、大負けしたらダメですからね。たとえば、ある石ケン会社がつぶれると最近新聞に出ていて、全部が銀行に押さえられておると、そこで首切り反対闘争をして、ストライキやって、五十のおじさんに退職金もやれなんで路頭に迷わしたら困るからね、少くとも退職金はとるというとっから始めて、なお攻められたらよけいにとるとか、首つなぐとか、堅くいきますね。
前田 堅い麻雀ですね。
太田 うん、堅いというより、全然、博奕は打ちませんね。絶対勝つ、マイナスにならんという方法をとりますね。
阿佐田 プロの博奕打ちの博奕というのは、商売ですから、一生それで生きていかねばなりませんし、勝つか負けるかわからんということに手を出してはまずいわけですね。そういう博奕を打って死んでいくのは旦那衆で、だから見た目には派手な、一か八かという博奕を打って勝っても、あまり自慢にならんわけです。
前田 しかし、ギャンブルってのは、負ける可能性のないものをやってたんでは、全然、面白味がないでしょうね。
阿佐田 商売だったら面白味は論外でしょうね。レジャーだったら、負ける可能性があっても面白く打とう、ウルトラCをやってみようということになるでしょうが……》
プロとアマ。商売。博奕。ここのところ、そういったことが頭の中から離れない。
昨日の昼も同業の友人と電話で「ここらで勝負しないと、じり貧になる」「といっても、生活とのかねあいがねえ」とあいかわらず酔っ払いの愚痴みたいな話をしていた。
「才能がほしいねえ」
「貫録や人望もほしいよ」
「どっかに売ってねえかなあ」
「噂によると、中央線沿線には売ってないって話だよ」
(……以下、「雀聖の処世」と解題し、『活字と自活』本の雑誌社所収)