阿佐ケ谷でちょっとした会合があり、部屋でごろごろしていたらたぶん寝てしまうとおもい、午後一時半ごろ、家を出る。天気もよく、半袖の人がけっこういた。わたしは長そでのシャツにジャケットを着ていて、町中でひとり季節にとりのこされていた。
風船舎に行くと、若い店長さんに阿佐ケ谷でパラフィン紙を安く売っている文房具を紹介してもらった。近所の文房具屋のパラフィン紙が十五円から三十円になったという話(「パラフィン」/『古本暮らし』)を読んで教えてくれたのだ。
風船舎は、阿佐ケ谷の一番街という、けっしておしゃれとはいえない飲み屋街にあるのだが、店内もきれいで本の趣味も洗練されている。そんなお店で一枚十五円のパラフィン紙の話をして、「阿佐ケ谷のどこでごはんを食べますか」と聞かれたので、「ええと、南口だとはなまるうどん、北口だとなか卯です」と答えてしまい、人生の先輩(年齢だけ)として、これでいいのかと考えこんでしまった。でも店長さんは「ぼくもはなまるうどん行きますよ」といってくれたので親近感をおぼえた。
菊地康雄の『青い階段をのぼる詩人たち 現代詩の胎動期』(青銅社、一九六五年)という本を買った。大正期のアナキスト詩人についてかなり頁をさいていて、知らない詩人がいっぱい出てくる。
店を出て、文房具屋の場所をたしかめて(棚に「パラピン」と書いてあった)、こんどは北口を散歩する。
ひさしぶりに阿佐ケ谷の名曲喫茶に行こうとおもったのだが、入口にオーディオ機器に影響を与えるため一部を禁煙にうんぬんという貼り紙があったのを見て引き返す。
結局、喫茶プチに入る。ひょっとしたら外食費よりも喫茶店代のほうが高い生活を送っているかもしれない。
かんがえようによっては貴族みたいだ。
そうこうしているうちに午後四時前になったので、待ち合わせ場所の朝の五時まで営業しているそば屋に向かう。
ちょうど岡崎武志さんと川本三郎さんが並んで入ろうとしているところだった。
最初は熱燗を飲んでいたのだが、店員さんがまちがえてもってきた冷を「それ、飲みます」といって飲んで、店を出たとたん酔いがまわる。
川本さんにいわれた「吉行淳之介や色川武大を古本で読む世代なんだねえ」という言葉が印象に残った。川本さんに「阿佐ケ谷だと、どこでゴハンを食べますか?」と質問したかったのだが、いいそびれてしまった。