深夜、近所の漫画喫茶に行った。雑誌をチェックしたり、コピー機(一枚二十円)したり、仕事部屋がわりに使っている。
深夜の六時間パックだと千円くらいで泊まれるところもある。サウナやカプセルホテルより安い。
旅先ではよく宿がわりにしていた。おそらく漫画喫茶での宿泊日数だけならひと月は軽くこえるとおもう。自慢ではないが、二十四時間営業のコインランドリーに泊まったこともある。
テレビのドキュメンタリー番組で「ネットカフェ難民」を見たとき、川崎ゆきおの『小説猟奇王 怪奇ロマン派怪人譚』(希林館、一九九八年四月刊)をおもいだした。
『小説猟奇王』には、ファミリーレストランで三ヶ月生活している男が出てくる。男の名は、怪傑紅ガラス。紅ガラスは猟奇王のライバルである。
紅ガラスは猟奇王と次のような会話をかわす。
「貴様を追いかけ続けていた。こんなところで出会うとはな」
「お互い場違いな場所じゃな」
「まあな……だが私はこの場所に馴染んでいる。今では生活の場だ。いや、正しくは居住者とでもいうべきか」
紅ガラスは、三ヶ月前にビフテキを注文し、その後は水とセルフサービスのサラダでどうにか飢えをしのいでいる。
「この店は二十四時間営業で、エンドレス営業じゃ。そして私は客であり続けるわけだから、当然この席に座り続ける権利を獲得しておる。おかげで雨露もしのげるし、横になって寝ることもできる。さらに起きたあとは洗面所で歯も磨けるし、タオルで体も拭ける」
「つまり、居ついておるわけか」
「アジトと呼んでもらいたい」
かつて紅ガラスは正義の味方だった。しかし生活に追われてそれどころではない。猟奇の帝王、猟奇王の境遇も似たようなものだ。
猟奇王はいう。
「確かにそうだ。正義だ、悪だ、と宣言して走っている余裕などない。存在しているだけで、目一杯だ。それはわかっておる。それはわかっておるが、それを肯定してしまうのはあまりにも寂しいではないか」
『小説猟奇王』が出た一九九八年ごろ、定収入になっていたPR雑誌が廃刊し、テープおこしのアルバイトで食いつないでいた。ほんとうに「存在しているだけで、目一杯」だった。
さらに風呂なしアパートの隣の部屋にすこしヘンなおじさんが引っ越してきて、毎晩壁を蹴られたり怒鳴られたりするようになった。
自分の生活を守るには金がいる。
生活のたて直しのためにタバコを減らし、自炊を増やすことを決意した。本やレコードを売りまくった。
とにかく心が休まるところに引っ越したかった。
ちょうどそのころ友人に「どうせなら風呂付きの部屋に引っ越せば」といわれた。
「家賃が高くなるけど、その分、仕事しようって気になるよ」
ほんとうにそうだった。風呂なしアパート住まいのときは、しょっちゅう気のむかない仕事を断っていた。しかし風呂付の部屋に引っ越してからは、そうもいかなくなった。生活を維持したいという目標が、勤労意欲につながることを知った。
働いて、家賃を払う。働いて、メシを食う。
いまだに月末、家賃を払うと、今月ものりきったという気分になる。
(……続く、と書いたが続かなかった。すみません)