2007/07/20

バランス感覚

 ひまさえあれば、そして忙しいときでも、いつも考えている問題がある。
 以前も書いたことだけど、「お金と時間」のかねあいをどうするかってこと。仕事が忙しくなると、お金は入るけど、遊ぶ時間がなくなる。仕事がひまになると、遊ぶ時間はあるけど、生活が困窮する。
 そのちょうどいいかんじはどのあたりなのか。長年、考えつづけているにもかかわらず、なかなかわからない。いや、「わかる」と「できる」はちがう。

 わたしの場合は、フリーライターなので、仕事の量を自分でコントロールしようとおもえばできなくはない。
 出来高制なので、書けば書くほどお金になる(……とはいえないな。資料を買いすぎて赤字になることがしばしばある)。
 ただしあまりにも忙しくなると、新刊書店や古本屋に行く時間も減り、本を読む時間も減り、その結果、わたしのような書物に依存しながら仕事をしている書き手は、原稿が書けなくなってしまうということにもなる。
 それ以上に、毎日がつまらなくてしょうがないという気分になることのほうが深刻だ。

 過去何年間か振りかえってみると、仕事が忙しい時期よりもひまな時期のほうが楽しかったような気がする。過去の記憶は都合よく改竄されてしまうものだけど、自分がいちばんつらかったとおもう時期は、しめきりが重なって睡眠時間もとれず、酒を飲むひまも、古本屋めぐりもできなかったころなのは、まちがいない。

 でもそういう時期があったからこそ、その後、「あのころのつらさをおもえば今はまだまし」とおもえる余裕を身につけることができたともいえる。無駄ではなかったとはおもう。まあ、そういうこともあって、二十代の若者に会ったりすると、「おれも君たちくらいのころはけっこう働いたよ」みたいなことをいってしまったりするのだけど、その仕事がいやになるほど働いた時期は半年ちょっとで、二度とあんな経験はしたくないとおもっているわけだ。
 年輩の人の説教は、話半分だとおもったほうがいい。

 お金と時間のバランスは、何を幸せとするかで変わってくる。
 わたしの場合は、あまり仕事に追われず、寝たいときに寝て起きたいときに起き、週五、六日くらい古本屋や中古レコード屋をまわって、喫茶店でコーヒーを飲んで、酒を飲んで、年に二、三回、二泊三日くらいの国内旅行ができれば、幸せだなあとおもうのである。
 そのために自炊をしたり、衣類を買わなかったり、髪を自分で切ったり、ちまちま倹約することは苦ではない。

 つまり地方から都会にやってきて下宿しているひまな学生のような暮らしがわたしの理想なのかもしれない。ほどよく金欠で、腹が減っているからメシがうまくて、酒にありつけたときに心からうれしい。ほんとうは、そのくらいのお金と時間のバランスが充足感があるのではないか。

 意識してやろうとしてもうまくいかない。なぜだろう。