すこし前に『文庫で読めない昭和名作短篇小説』(編集協力=荒川洋治、新潮社、一九八八年)を高円寺の西部古書会館の古書展で見つけ、この一週間くらいパラパラと読んでいた。
すると先週の山本善行さんの「古本ソムリエの日記」で均一台でこの本を買ったという話が出てきた。
また先週、東京堂書店で荒川洋治さんの講演会があり、その日荒川さんは「今日は耕治人の話をします」と宣言した。その数時間前にわたしはたまたま耕治人の『料理』(みき書房)を古本屋で買っていた。講演中、おもわず前の席に座っていた退屈君と隣の席にいた元『QJ』の編集長で現『dankaiパンチ』の森山裕之さんに「これ」と自慢した。
以上のような理由から、わたしは耕治人の小説を読みはじめた。古本屋通いをしていると、そういうことがたまにある。いつも不思議におもう。
『文庫では読めない〜』には、耕治人の「この世に招かれてきた客」という短篇も収録されている。詩人の千家元麿のことを書いた小説である。品切になっているけど、講談社文芸文庫の『一条の光/天井から降る哀しい音』にも収録されているので、文庫で読もうとおもえば読める。
《千家元麿は貧しかったが、それは生活能力が乏しかったためではない。単なる無欲のためでもない。原因はもっと深いところにあるような気がした》(「この世に招かれてきた客」)
千家元麿の詩集は、古本屋で何度か見た記憶があるが、買ったことはない。ちゃんと読んだこともない。ただこの詩人の名前は、荒川さんの講演で強く印象に残っていた。
耕治人の小説の中に、千家元麿の色紙の文句が紹介されている。
《私達は神に招かれて
此世へ来た客だ
不服を言はずに
楽しく生きるものには
大きな喜びがある》
そしてこの色紙を見ながら、「私」は「いい気なもんだ!」とおもう。
《お客なら、あげ膳すえ膳で、うまいものを食べていればいいわけだ。「客」と言うのが気に食わなくなったのだ》
以来、三十年あまり、この色紙を目にふれないまますぎた。ところが、ある日「私」は「突然閃くものがあった」という。
その閃きは、千家元麿の貧乏と無欲の謎に関するものだった。
この色紙の文句は『蒼海詩集』の「客」という詩が元になっている。
《私は神に招かれて
此世に客に来たのだ
私は生まれたのを喜ばなくてはならない
生まれたことを思つて
私は嬉しくて嬉しくてたまらない》(抜粋)
「この世に招かれてきた客」では、千家が、出雲大社の宮司の一族であるというエピソードが出てくる。でもこの詩の「神」について、「私」は「日本の古い神とも外国の神とも違うものだ」と言いきる。その根拠はわからない。
小説を読み終わると、千家元麿というひとりの詩人が、自分の中にもやもやとしたかんじで残る。
『文庫で読めない〜』の耕治人の解説は、野坂昭如が書いている。
おもわず全文引用したくなるくらい、好きな文章だ。
《耕治人の小説を読むと、不思議なことに、ぼくは片付けものをしたくなる。自分の部屋の、積み上げられた雑誌類はもとより、いつかは必要になるかもしれぬと、未練がましくそろえた資料の如きものから、書籍まで、片付けるとはつまり棄てる作業が主で、いちおうの撰択は働くものの、そして結局、小説とは関係なく、当然、処分されてしかるべき雑物だけが、処分されて、ただの整頓に終ってしまうのだが、書物に限らず、衣類や、文房具、その他こまごまとした身辺の小物にも、廃棄衝動は及び、こちらは目に見えて、さっぱりと、いわば小奇麗になる》(野坂昭如「喜んで去る」)
わたしもある種の本を読むと、蔵書を減らしたくなる。たくさんの本に囲まれている安心感と同時にたくさんの本に囲まれていることによって、読みが散漫になっているのではないかという気持になる。
とくにいい詩といい小説を読むとそうおもう。
ちなみに「この世に招かれてきた客」の「私」の家には本棚がひとつしかなかった。
野坂昭如の解説には、次のような一文もあった。
《私小説というものは怖ろしいもので、もっとも、百篇の世界的文学を、小品ひとつで吹っとばしてしまう、これをしても力とはいえない、妖かしに近い、呪術めいたものを備えている》
耕治人の小説は「今」とか「時代」とか「世の中」とか、そういったものとはまったく関係ない。でもその関係なさゆえに、引きこまれてしまうのである。
引きこまれつつ、ここには自分の居場所はないなあともおもう。うまくいえないけど、そこは耕治人だけの世界なのだ。
野坂昭如は、「妖かし」「呪術」という言葉をつかっているけど、「洗脳」といってもいいかもしれない。
本を読んでいるうちに、作者と感じ方、考え方が同調してしまう。そういう瞬間はとても気分がいい。作者に共感すればするほど、むしろ共感できない部分を無理にでも探して、逃れたくなる。
これは私小説だけにかぎったことではない。その人の考え方や感じ方を受け容れて、ときには影響されつつも、どこか違和感が残したい。その違和感をなくしてしまうことが怖い。
どうしてか。「この人には何をいっても無駄だなあ」というゆるぎなさを身につけたくないからだ。
だからこそ、耕治人のように時間をかけて、あれこれ自問自答する作家に魅了されてしまう。しかし最近いつもそこに落ち着いてしまって、だんだん自分がゆるがなくなっていた。気がつくと、同じパターンの自問自答をくりかえしてしまう。
そこから先になかなか進めない。
「この世に招かれた客」の冒頭のほうにこんな文章があった。
《私はそれまで千家を、無欲な人、金銭に恬淡な人、いくらかダラシない人、というふうに考えていたのだ。
詩壇でもそんなふうに受け取られていたようだ。それで知らないうちにその影響を受けたのかもしれないが、長いあいだ千家に接し、千家の生活を見てきて、その考えを訂正しなければならないと思ったことはなかったのだ。
千家元麿は昭和二十三年三月に死んだから、死後十九年間も、彼に対する私の考えは変わらなかったわけだ。
十九年のあいだにその観点から、私は彼についていくつかの文章を書き、小説も書いた。
私はそのことに責任を感じたのだ。自分の至らなさを詫びたくなったのだ。
私は新しい立場から千家元麿のことを書かねばならない、と思った》
文学には自分の「観点」をくつがえす作業というのがある。その作業がない文学はおもしろくない。でもそのことを忘れていた。いや、その作業からちょっと逃げていた。
いくつもの偶然が重なり、今、この時期に耕治人の短篇を読めたのは運がよかったとおもう。