函館に行ったのはいつだったか。こういうとき日記をつけていればよかったなとおもう。
青春18きっぷで仙台、盛岡、秋田、弘前の古本屋をまわりながら、電車で函館に行った。仙台は東北大学の寮、盛岡は二十四時間営業の漫画喫茶、秋田は駅前旅館、弘前は駅で野宿している。
目的地は札幌だったのだが、時刻表をみると、函館から札幌まで鈍行ではかなり時間がかかることがわかった。
当時は函館から札幌までの夜行電車(夜行ミッドナイト。現在は廃止)があったのだが、全席指定で切符が買えず、結局、その日は函館駅の待合室のようなところに泊ることになった。
駅の待合室には四十、五十人いた。明け方、駅のまわりを散歩した。駅からすぐ函館港があって、朝までやっている飲み屋があってそこで飲んだ。座敷があって、うとうとしていたら「疲れているんだったら寝ていきなよ」と店の人が布団を貸してくれた記憶がある(あやふやな記憶だが)。
どうにか特急で札幌まで行き、古本屋をまわり、北海道の大学で尿の研究をしていた友人(今は愛知県で薬局を営んでいる)の家に泊めてもらい、それから苫小牧まで行って、東京まで船で帰った。
二十代のころは滞在時間よりも移動時間のほうが長い旅ばかりしていて、これといった観光もせず、古本屋をまわり、電車の中で本を読んだり、寝たりしていた。
だから函館のことをおもいだそうにも、前述の居酒屋に泊めてもらったことしかおぼえていない。
そういえば、函館市電(路面電車)に乗って、五稜郭公園に行った。ちかくにいせや書房という古本屋があって、文庫本を買った気がする。
『佐藤泰志作品集』の中に「函館の朝市」というエッセイがある。
《今私が父の仕事を手伝っているこの函館の朝市にも、夏のシーズン中はもちろん、四季を問わず観光客はおとずれるし、中には石川啄木ゆかりの地などを思いいれて、はるばるやってくる文学青年などもいるのだろうと思われる。(中略)私の父などは三〇年このかた朝市の地べたで、野菜売りのおばさんや海草や昆布を売るおばさんに混じって商売を続けてきた。わずか畳一畳分ほどの地べたでの商いであって、しかしそれを三〇年と考えると、実にしぶといと思ってしまう》
この文章を読んで、わたしも朝市に行ったこともおもいだした。駅の待合室から、朝市に出かけ、せっかく函館に来たのだから、うまいものを食おうと、いくら丼を食った。それについてきたみそ汁がうまくて、おかわりした。
もし佐藤泰志の『海炭市叙景』を読んでいたら、函館ロープウェイにも乗っただろう。残念ながらわたしは乗らなかった。市電の窓からロープウェイの看板を見た気がする。
そんなことをおもいだしているうちに、函館に行ったのは、一九九四年八月だったような気がしてきた。
なぜそうおもったかというと、北海道の友人と「吉行淳之介さんが亡くなったねえ」という話をしたおぼえがあるのだ。その友人も吉行ファンだった。
(追記)
いろいろ記憶がごちゃごちゃになっている。たしか大学時代(一九九〇年ごろ)にも北海道に行っているはず。