十五日(木)、昼からアルバイト……をそうそうに切り上げて、夕方、のぞみで大阪に行く。梅田に着いのは午後六時前、大急ぎで梅田第三ビルの古本屋に行って、第四ビルのめん次郎できつねうどんを食う。
かっぱ横丁の古本街をかけぬけ、萬字屋書店で大宅壮一の『青春日記』(上・下巻、中公文庫)を買う。あるところにはあるのだろうが、なぜかわたしの前にはあらわれてくれない本だった。
最近、そういう本が見つかると、うれしいような、さみしいような気分になる。
二十代のころから探している本が何冊かある。当り前だけどそういう本は年々すくなくなってきている。十年も古本屋をまわっていれば、自然とそうなる。
大宅壮一の日記は、古本屋の話からはじまる。
大正四年、七月二十七日の大宅少年が、空掘の古本屋で本を見ていて、棚の上の本をとるために、風呂敷包をおいた。
夢中になって本を見ていたら、いつの間にか包がなくなっている。
盗まれてしまったのだ。
《ああ大変な事が出来た。この中には幾程金銭を出しても求める事の出来ないこの四月から一日もかかさず書いた僕の努力の結晶ともいうべき『生徒日誌』が入っているのだ。その他学校で借った『少年』も昨夜、夜店の古本屋をあさって買求めた四五冊の本もすっかり取られてしまった。ああどうしよう、どうしたらよかろうか。今更ながら自分の不注意がうらめしかった》(大正四年七月二十七日の日記)
こういう日記は、寝る前に四、五頁ずつゆっくり読みたい。
阪急古書のまちから歩いて中崎の珈琲舎書肆アラビクに行く。BOOKONNの中嶋大介さんと待ち合わせ。ウイスキーを飲んで、そのあとコーヒーも頼んでみる。店長さんに芦屋古書即売会の目録を見せてもらう。十一月二十三日(金、祝日)か。行きたいけど、無理。
先月、東京から大阪に引っ越した学生時代にいっしょにミニコミを作ったり、玉川信明さんの読書会に参加していた友人もアラビクの近所に住んでいる。その日は「大人の接待」で何時に仕事が終わるかわからないとのことだった。
中嶋さんから最近の大阪の古本屋事情を教わる。
店をかえて、午後十一時くらいに、友人がかけつけ、三人で軽く飲んだあと、ファミレスで深夜二時ごろまでしゃべる。
学生時代に戻った気分だった。
十六日(金)、京都に向う。とりあえず、河原町のサウナ・オーロラに行って、仮眠室で一時間ほど寝る。新しくできたブックファーストに寄ってみた。はじめて入った記念に喜国雅彦の『本棚探偵の回想』(双葉文庫)を買う。蒐集の対象(喜国氏はミステリ専門)はちがえど、共感するところ多し。
阪急百貨店の八階のうどん屋で五目あんかけうどんを食う。
昼の三時に六曜社で、扉野良人さん、北村知之さんと待ち合わせ。北村さんはほんのちょっと前にスマートで「sumus」同人の山本善行さんと林哲夫さんと会っていたという。六曜社に行く前に、スマートのちかくを通ったのだが、気づかなかった。残念。
しばらくして扉野さんが来て、お寺に行って、大阪から来る中嶋さんを待つ。
講談社文芸文庫の品切本の話で盛りあがる。
夕方六時、中嶋さんと合流してタクシーで「拾得」に向う。
東京ローカル・ホンクと薄花葉っぱ(女子部)のライブ。店にはいると、近代ナリコさんもいた。
北京在住のアメリカ人のホンクのファンが観光をかねてこのライブに合わせてわざわざ京都に来ていた。もともとくるりのファンで、喫茶ロックを聴いて、ホンクの曲を知ったそうだ。
ライブは無事終了。旅先で聴く「ハイウェイソング」は格別だ。打ち上げもたのしかった。
そのあとホンクのメンバー、スタッフといっしょに扉野さん家のお寺に行く。
夜中の一時すぎにみんなで風呂に行こうということになったが、夜遅くまでやっているという銭湯は閉まっていて、結局、サウナ・オーロラに行くことになった。十二時間以内に二回も同じサウナに行くことになるとは……。
さっぱりして、また寺に戻り、布団をひいて、ザコ寝。合宿みたいだ。京都だから修学旅行かな。扉野さん、さまさまだ。
ふと、こんな楽しいことって、あと何回くらいあるんだろうとおもう。
楽しい時間はあっという間にすぎてしまう。
旅先では、目や耳、全身の感度があがっているような気がする。
東京にいるときも、この感覚を忘れないようにしたいとおもうのだが、これがなかなかむずかしい。
ホンクのメンバーは、みんなわたしより齢上なのだけど、小学生がそのまんま大人になったみたいなところがある。
とりあえず、バカなところをいきなり全開で見せて、あっという間に場にうちとけてしまう。
十年くらい飲んでいて、ようやくそのすごさがわかってきた気がする。彼らなりにいろいろな場数をふんできて、そうなったのだろう。
《すてきな思い出のすべて
すてきな持ち物のすべて
はぎ取られてもそこに 残る小さな光
それが僕らさ それが僕らさ そうだろ
それが僕らさ 僕らは光さ
それが僕らさ すべてを失くしたとしても
そこに残る光さ 僕らは光さ》
(「生きものについて Beautiful No Name」)
あるときは「光」は、「音」だったり、「命」だったり、あるいは言葉にはならない「何か」だったりするのかもしれない。
ここまで書いて、ふと耕治人の「一条の光」という小説のことをおもいだした。
《小指の先ほどの鼠色のそのゴミは、生まれたような気がした。見つめていると、生きているように感じられた。不思議なことが起きた。そのゴミを起点として、一条の光が闇のなかを走った。私は闇のなかに、いつのまにか、いた。一条の光は私の過去であり、現在だ。それは父母であり、兄妹であり、私の出身校であり、勤め先だった。結婚でもあった。要するに私の生涯だった。生涯を一条の光が貫いたのだ。それは太くもあれも細くもあった。私はワナワナ震えた。身動きができなかった。コレダ! と思ったのだ》
きっと人生には「コレダ!」とおもう瞬間があるのだとおもう。
わたしはまだ「光」を見ていないけど、あっちこっちふらふらして、友人と付き合ったり別れたり、学校や仕事をやめたり、いろいろな偶然や必然が積み重なりながら、行き当たりばったりに生きていて、なんでこんなふうになってしまったのかわからなくなることもある。でも「これまでのこと、いいこともいやなこともなにもかも、そういうことがあったから、今があるんだ」とおもえる瞬間がある。
十七日(土)、午前十一時、のぞみで東京に帰る。そのままアルバイト先に直行し、夜七時まで働く。
自分にこんなに体力があったことに驚くが家に帰って、十二時間くらい寝て、十時すぎに起きた。NHKの将棋を見て、また寝ると、午後四時半になっていた。
西荻窪の「昼本市」に行きそびれた。皆勤賞だったのに。不覚。