2008/02/05

山川草木

 毎年のことだが、あたたかくなるまでは無理をしないようにしている。

 尾崎一雄の「亡友への手紙」(『虫のいろいろ』新潮文庫)に「お互い、ぱっとしたことは出来そうにない方だからね、何とかして長生きして、年月にものを云わせるより手は無い」というTという友人の言葉が出てくるのだが、そんな気分だ。
 体力人並以下だから、なるべく消耗しすぎないよう気をつけているのである。ただ怠けているだけともいう。

 尾崎一雄はよく色紙に「山川草木」と書いたが、その由来(?)もこの短篇に出てくる。
 山川草木転荒涼(さんせんそうもくうたたこうりょう)。乃木大将の詩だそうだ。
 それはさておき、「亡友への手紙」のTは誰なのか。いつもニコニコしていて、ハンサムで、戦中になくなった尾崎一雄と仲のよかった作家となると限られている。田畑修一郎である。

 先日、酒の席で、人生の転機になったのはなにかというような話になって、とっさには浮かばなかったのだが、高校を卒業して一年浪人したころ、予備校にも行ったり行かなかったりして、今みたいに古本屋に行って、そのあとぶらぶらしていたとき、ふと「なにをやっていても、生きてりゃいいんじゃないか」とおもったことがあった。
 当時、東京に行く気はなく、京都の同志社か立命館に行けたらと考えていた。ところが、「なにをやっていても」とおもったとき、ふと「東京に行こう」という気になったのである。
 私大の願書のしめきり直前くらいだった。
 結果、一浪のときに受験した関西の大学はぜんぶ落ちてしまった。
 あの心変わりはなんだったんだろう、と今でもときどき考えることがある。

 それから十九年、当時のちょうど倍の年齢になった。

「としをとって了った。としもとったが、それより何より、ただもう弱ってしまった。精神も肉体もだ」(亡友への手紙)

 尾崎一雄はそこから自分を立て直すのである。
 参考になる。