あいかわらず、調子はよくない。
心技体でいうと、こういうとき、頼りになるのは技である。技といっても、いろいろあるが、わたしの場合、とりあえず、自炊をする。
からだの調子がぱっとしなくても、簡単な料理なら、技だけでなんとかなってしまう。たいしたことではないが、ちょっと自信になる。
というわけで、昨日は鍋を作った。
色川武大は、調子のわるかったり、行き詰まったりしたら、バックするといいといっていた。
『うらおもて人生録』(新潮文庫)に書いてあるのだが、この本にはほんとうにお世話になりっぱなしだ。
バックするといっても、初心にかえるというようなことではない。色川武大は「ワンサイクルで燃えつきてしまわないように、適当にサボタージュする必要がある」といっている。
ストリップがだんだん過激になって、気がつくと、行きつくところまで行ってしまう。そうすると、ワンサイクルが終わる。
斬新な表現も、だんだん刺激に慣れ、やっているほうも見ているほうもそのうち飽きる。
この道何十年の職人がいて、毎日毎日同じことを繰り返しているようで、気がつくと、とんでもなく高度な技を身につけていたりする。
同じことをやっても、早くて正確になる。早くて正確になると、すこし余裕ができる。余裕ができると、次の一歩が見えてくる。
低迷しているなあとおもうときは、自分がやりたいことに必要な早さと正確さがまだまだ足りない状態なのかもしれない。
長年、自炊をしているうちに「今日は面倒くさいから、鍋にしよう」とおもえる程度になった。
そうなってくると、「今日は日本酒じゃなくて、焼酎でも入れてみるか」みたいなかんじで、すこしずつ遊ぶ余裕もできてくる。
昨日の鍋はただ豚肉とか白菜とか豆腐とかを煮て、ネギ味噌を焦がしてごま油をいれたものにつけて食った。
そのあと余ったネギ味噌を鍋にいれて、味噌煮込みラーメン(焼きそばの麺)を作ってみた。
わたしは簡単な料理ばかり作る。
簡単な料理を簡単に作ることができるまでは時間がかかった。
いっぽう早寝早起とかハキハキした挨拶とか正しい箸の持ち方とか、人が簡単にやっているようにおもえることが、ちっともできない。
簡単ということがわからなくなってきた。何事もできる人には簡単だが、できない人には難解なのだ。
どうしてこんな簡単なことがわからないのか。
わからないから、わからない。できないから、できない。わからないから、できないし、できないから、わからない。
わかりやすくいうと、ちっとも簡単ではないのだ。