2008/02/17

にのいちしんぶん

『小説すばる』の今月号に、ある人の品切文庫(※)を探している話を書いた。しめきり当日まで、毎日古本屋を何軒もまわっていたのだが、まったく見つからない。あまりにもないので、クレジットカードを作って、アマゾンの中古本で購入することまで考えた。
……のであるが、編集部に原稿を送った翌日から、次々と見つかった。よくあることだ。

 新刊本を読んでから、さかのぼって、古本を探す。そのときいつも不覚だとおもう。なぜデビュー作、あるいは出世作が新刊書店に並んだときに、反応できなかったのかと。
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 今週は大阪からBOOKONNの中嶋さんが上京し、三日連続、古本酒場コクテイルで飲んだ。会うたびに、古本の入った袋を持っている。相当、買っているとおもう。わたしも旅先ではそうなる。

 中嶋さんから貸本喫茶ちょうちょぼっこの「にのにのいちのに」の「にのいちしんぶん」をもらう。
 今日が最終日かあ。行けなくて残念。
「にのいちしんぶん」のモズブックスの松村明徳さんの「古本屋になった今」というエッセイを読んで「うっ」とおもう。
 古本屋になる前は、あまり収穫がないと、「つまらなかった」「クズ本の山だ」みたいなことをブログで書いていたが、自分が古本屋をはじめてからは、いい本を並べることがいかに難しいかを痛感したといった内容だった。

 昔、一箱古本市のとき、終了まぎわに来たお客さんに「百円でもいらない本ばっかりだなあ」といわれたことがある。
 こちらとしては「もっと早く来てれば、けっこういい本もあったのに」と悔しい気持になったが、自分もその客と似たようなことを口には出さないが、心の中でおもうことはよくある。いや、書いたこともある。

 やっぱり「目玉商品」はすぐ売れる。「今日はあんまり収穫がなかった」とおもうときは、自分と趣味のちかい何某さんの通った後だったりする。

(※)宮田珠己著『旅の理不尽 アジア悶絶編』(小学館文庫)である。