月曜日、BOOKONNの中嶋大介さんと退屈君、火曜日、扉野良人さんとPippoさんが高円寺にきて部屋飲み。扉野さん、Pippoさんとはいろいろ詩の話をしたのだが、まさかヘルマン・ヘッセの話でもりあがるとはおもわなかった。
辻征夫の『かんたんな渾沌』(思潮社)の「谷川俊太郎についてのいくつか」という論考を再読した。
谷川俊太郎はひとりっこで、そのせいかどうはわからないが、他人とどろどろするような関係に入らないし入れなかったと語っている。
《つまり、自分の鬱屈とも無関係でいられたみたいなさ、ま、それはたぶん、心理学者がいいうみたいに、母親に充分に愛されて一人でも安定していたということだと思うんですね》
そう自己分析したあと、「ぼくはいま、そのツケを払っているんですよ、いってみれば」とつけくわえる。
谷川俊太郎が払っているという「ツケ」がなにかはすごく気になる。
意識の中では、人間との関係に入っていかなければならないとおもっている。それで入っていくのだが、どこか距離がある。
四十代のはじめごろ、「私は私は」という自己表現の呪縛から逃れたという。
ただし——。
《詩人の主体というのかな、どう生きるべきかみたいな、そういうものを根源に置かないとね、どうも詩が駄目だという感じがあるんですよ。いつでもその間を揺れ動いて来たんですね》
この「揺れ動いて来た」という言葉にはっとさせられた。
谷川俊太郎が、そういったことを考え、試行錯誤していたのは、四十代のはじめごろだった。
わたしは詩を書いているわけではないが、昔とくらべれば、文章も自分の考え方も安定してきたとおもう。同時に谷川俊太郎がいうところの「主体」も、以前とくらべて弱くなってきた。
不安定だけど(不安定だからこそ)、おもしろい文章がある。
安定しているようにおもえるのは、いいたいことがこんがらがってうまく書けないことをはじめから書かず、書きやすいものだけを書いているからかもしれない。
目先の仕事におわれて「どう生きるべきか」をかんがえなくなっている。「思想」あるいは「文学」にとって、いちばん大切なことは「どう生きるべきか」という問いのような気もする。