2010/09/13

プラネテス

 仕事が一段落したので、幸村誠著『プラネテス』(全四巻・講談社)を久しぶりに再読する。
 宇宙でゴミ拾いの仕事をする人たちの人間模様を描いたSF漫画なのだが、「大人になること」というテーマを見事に描かれている。巻末、というか、後ろ扉の作者の言葉もいい。

 とくに四巻の「犬の日々」「飼い犬」の逸話は読むたびに考えさせられる。

 幼い息子(やや反抗期)を地上に残して宇宙で働くフィーの台詞。

「生きてりゃ誰でも納得のいかないことの10や20はあるよ」「でもさあ……そこんとこをグッと飲みこんで 社会生活 やっていけるのが」「大人ってもんでしょ? フツー」

「フツー」はそうかもしれない。反抗するより、妥協したほうが、楽だし、得なことのほうが多い。でも理屈ではなく「なんとなく、イヤだ」とおもう感覚がある。社会生活を送る上では、とりあえず、飲みこんでおいたほうが無難だ。
 ずっと飲みこみ続けていると、「イヤだ」とおもう気持が麻痺してくる。

 大人になる過程で、感情を抑制することを学ぶ必要もあるのかもしれないが、いちどなくしてしまうと、なかなか取りもどせない。ヘタすると、何事にも無感動な人間になることもある。
 使わなければ、からだも頭も衰える。感覚も同じだ。齢とともに、どんなにつかっていても次第に衰えてくるところも同じだ。

『プラネテス』では、「大人ってもんでしょ? フツー」といっていたフィーが、「成長したいとか立派になりたいとか」「そう思ってるうちに忘れてしまう感覚がある」と自問するシーンがある。

 理不尽なことがあったときに一々腹を立てていたら、仕事が停滞したり、干されたりする。自分だけの問題ですめばいいのだが、家族だったり、部下だったり、いろいろ人の面倒を見なければならない立場になれば、その人たちを道連れにしかねない。

 とはいえ、耐えしのんでいるだけでは、事態はますます悪化していくこともある。
 そういう場合、反抗でも忍従でもない解決策はあるのか。働かないと食っていけない人間が「納得のいかないこと」に出くわしたとき、どう対処すればいいのか。

 わたしは三十歳くらいになって、あるていど自分の気持を犠牲にしても、自分の足場ができるまでは我慢するしかないと考えるようになった。おかげで、多少、生活は安定したけど、それと引きかえに失ったものも、すくなくないというおもいもある。

 青くさいことばかり書いているなあ、とおもうこともあるが、そういう気持をなくしたくないのだから、しょうがない。