2010/10/22

保留

——図式にとらわれすぎると、日常の感覚を損なう。

 あいかわらずのしりきれトンボ。あと一言二言と付け加えようとして、そのままにしてしまった。

 世代論は多くの例外を含むが、世の中を考えるひとつのモノサシとしてそう簡単に否定はできないところもある。生まれ育った時代の影響も無視できない。

 時代経験は各人各様という事実もある。  

 若いころは自分たちの世代は被害者だという意識がある。しかし被害者だとおもっていた世代が、いつの間にか加害者になる。よくある話だ。

 おそらく四十歳前後の自分と同世代の人が〈バブル世代〉といわれたときの戸惑いもそこにある。バブルの恩恵に受けたのは上の世代だ。だから「こっちはそんなにいいおもいしてねえよ」と反論したくなる。ところが、これまで世を拗ねる立場だったのに、いつの間にか、若い世代からすれば、ずっと恵まれてきた身勝手な中年とおもわれるようになった。「自分はちがう」という言い分は通用しない。

 どの世代だって、そのときどきは自分のことでいっぱいいっぱいで、次の世代のことは考えられない。社会に出てからの時間のすごし方で、同じ世代で考え方もちがってくる。

 ひさしぶりに学生時代の友人に会うと、別人のように性格が変わっていたり、子どものころ見たテレビのことくらいしか共通の話題がなかったり、むしろ同世代は同世代でどんどんバラけている気もする。

 やっぱりまとまらん。

 もうすこし時間をかけて考えてみたい。今はその時間がない。