2011/03/29

あいもかわらず

 扉野良人さんから築添正生著『いまそかりし昔』(りいぶる・とふん)が届いた。

 築添正生の(母方の)祖母は平塚らいてう、祖父は奥村博史である。
 一九四四年十二月十九日、疎開先の茨城県生まれ。二〇一〇年三月二十三日、六十五歳で亡くなった。
 演劇をやったり、金工をやったり、草野球をやったり、ずっとふらふらしていた人らしい。
 辻潤やウラ哲の話も出てくる。
 ぼんやりとした何てことのない回想記もいい。
 ずっと読んでいたくなる文章だ。

《「ひとは、なんでいつもこういう風に生きられないのかな」
 たしかに、父はそう言ったようだった。
 ぼくにむかって話しかけているのかとおもって、読んでいた本から顔をあげたが、父はテレビをみながらひとりごとを言ったらしく、テレビの画面に顔をむけたままだった。
 テレビには、イタリアかフランスらしい田舎町の祭りの風景がうつっていて、着飾った人々が、若者も年寄も、男も女もワインで顔をほてらせ、楽しそうに唄い踊っていた》(あいもかわらず)

 築添正生の父は、転々と職場を変えた。変わるたびに、若い人を家に呼んで酒宴をひらいた。
 そんな父が気分よく酔っぱらうとうたう唄があった。

  あいもかわらず
  日ぐれになれば
  あいかわらぬ夜が
  のそのそやってくる
  いろいろのぞみも
  いだいちゃみたが
  となり同士に
  仲良く住んでる
  どうせ浮世は
  こうしたものと
  暮らしてゆくうちに
  時は流れるよ

  楽しいくらしも
  つらいくらしも
  いろいろあるけれど
  いづれをみても
  たいしたことはない

             *

 日曜日、月島のあいおい古本まつりに行った。
 寝坊したが、どうにかインチキオルガンミュージシャンのオグラさんのライブには間に合った。
 オグラさんは自分の曲と古い唱歌をうたっていた。

 銭湯の歌や猫を探す歌や季節をいとおしむ歌を聞いても、被災地のことが頭をかすめた。
 あいもかわらず、わたしは本を読んで、音楽を聞いて、酒を飲んで、暮らしている。

 この日も月島でもんじゃを食べ、そのあと高円寺の魚民で、ハチマクラのオグラさん、みどりさん、ペリカン時代の増岡さん、原さんとずっとくだらない話をして、酔っぱらって、家に帰った。

 あいもかわらず、とおもいつつ、こういう風に生きていたい、とおもった。