扉野良人さんから築添正生著『いまそかりし昔』(りいぶる・とふん)が届いた。
築添正生の(母方の)祖母は平塚らいてう、祖父は奥村博史である。
一九四四年十二月十九日、疎開先の茨城県生まれ。二〇一〇年三月二十三日、六十五歳で亡くなった。
演劇をやったり、金工をやったり、草野球をやったり、ずっとふらふらしていた人らしい。
辻潤やウラ哲の話も出てくる。
ぼんやりとした何てことのない回想記もいい。
ずっと読んでいたくなる文章だ。
《「ひとは、なんでいつもこういう風に生きられないのかな」
たしかに、父はそう言ったようだった。
ぼくにむかって話しかけているのかとおもって、読んでいた本から顔をあげたが、父はテレビをみながらひとりごとを言ったらしく、テレビの画面に顔をむけたままだった。
テレビには、イタリアかフランスらしい田舎町の祭りの風景がうつっていて、着飾った人々が、若者も年寄も、男も女もワインで顔をほてらせ、楽しそうに唄い踊っていた》(あいもかわらず)
築添正生の父は、転々と職場を変えた。変わるたびに、若い人を家に呼んで酒宴をひらいた。
そんな父が気分よく酔っぱらうとうたう唄があった。
あいもかわらず
日ぐれになれば
あいかわらぬ夜が
のそのそやってくる
いろいろのぞみも
いだいちゃみたが
となり同士に
仲良く住んでる
どうせ浮世は
こうしたものと
暮らしてゆくうちに
時は流れるよ
楽しいくらしも
つらいくらしも
いろいろあるけれど
いづれをみても
たいしたことはない
*
日曜日、月島のあいおい古本まつりに行った。
寝坊したが、どうにかインチキオルガンミュージシャンのオグラさんのライブには間に合った。
オグラさんは自分の曲と古い唱歌をうたっていた。
銭湯の歌や猫を探す歌や季節をいとおしむ歌を聞いても、被災地のことが頭をかすめた。
あいもかわらず、わたしは本を読んで、音楽を聞いて、酒を飲んで、暮らしている。
この日も月島でもんじゃを食べ、そのあと高円寺の魚民で、ハチマクラのオグラさん、みどりさん、ペリカン時代の増岡さん、原さんとずっとくだらない話をして、酔っぱらって、家に帰った。
あいもかわらず、とおもいつつ、こういう風に生きていたい、とおもった。