東日本大震災と福島第一原発の事故から半年がすぎた。
いろいろ自分の生活にも変化があった。
震災後、本棚の上に本を積むのはやめた。それから風呂場にペットボトルの水の汲み置きを何本か用意するようになった。空のペットボトルを風呂場に置いて、シャワーをつかうとき、お湯になるまでの水をすこしずつためる。たまった水はベランダや網戸を洗うときにつかってたまにいれかえている。
あと食生活も変わった。魚介類の消費量が減った。
野菜、乳製品を買うときも、かならず産地表示を見るようになった。
できるだけ被災地のものを買ったほうがいいし、そのことが支援につながるという考えもあるとおもう。
あまり気にすると、それこそ何も食えなくなるし、だいたいこれまで健康に気をつかった生活をしてきたわけでもない。食事はほぼ自炊だが、食材に関しては安さを重視し、胃の中に入れば同じ、味は調味料でどうにかなると考えていた。
三月、四月、原発事故の影響に関して、ちゃんと判断できる自信がなかった。とりあえず、半年は慎重すぎるくらいの対応をしておこうとおもった。半年もすれば、だいたいの状況はわかってくるだろう。ところが、半年後の今もよくわからない。
津波の被災地ではない東京に住んでいても、原発事故の影響は小さくない。風評被害云々は、実害が皆無と証明された場合につかえるいいまわしであり、どうなるのかわからない状態では、原発事故のあった土地、海からなるべく遠い産地のものを買いたいとおもってもおかしくない。ただ、そういう気持をどう言葉にすればいいのだろうかと今も書きながら躊躇している。
三月、四月は本も読めなくなっていた。ニュースとインターネット(主に原発情報)を見続け、今さらいってもしょうがないようなことばかり考えていた。
二十数年前、日本の経済が右肩上がりだったころの膨大な浪費(散財)を太陽光発電をはじめとする自然エネルギーに全力で注ぎ込み、二〇一〇年くらいまでに原発を止めていたら……。自分で書いていながらも、いってもしょうがない話だとおもう。ただ、もしそうなっていたらなあ、とおもったのである。すくなくとも、わたしは週に三日は刺身(半額シール付)を食う生活が続いていたはずだ。
それと同じことは、何年か後、何十年か後にもおもうのかもしれない。この先、日本のどこかで稼働している原発が深刻な事故が起こったとき、「なんで、あのフクシマで懲りて、方向転換しておかなかったのか」と悔やんでも悔やみきれないだろう。
チェルノブイリ事故のあと、『まだ間に合うのなら』という小冊子が反原発運動家のあいだで、よく読まれていた。
残念ながら、今回は間に合わなかったけど、これで終わりではない。
(……続く)