いつの間にか、震災前とほとんど変わらない生活に戻りつつある。古本を読んで、酒を飲んで、ぐうたらしている。照明が薄暗く、商品が品薄だったスーパーの記憶もしだいに薄れてきた。
元通りになるのは喜ばしいことなのかもしれない。でも元通りになっていいのかともおもう。習慣に抗うことなく、押し流される日々をすごしている。自分の意志で生活を変えることのむずかしさを痛感する。
三月から五月にかけて仕事が減り、あらためて自分の生活基盤の脆さに直面し、うろたえてしまった。
マンションの壁にひびが入り、余震のたびにそれが大きくなる。
工事は五月下旬の予定だったが、大きな地震がきたら、どうなるかわからない。
散乱した蔵書の片付けも終わっていない。
落ちてきた本を元に戻しても、また地震がきたら落ちてくる。
そのころ毎週のように雑誌では「首都圏のホットスポット」といった特集を組まれていた。
同業の友人は「(放射性物質の影響は)いずれは光化学スモッグみたいかんじになっていくんじゃないかな」といっていたが、今のわたしの実感もそれと近い。
性格、年齢、子どもがいるいない、あるいは原発からの距離によって、事故の受け止め方、危機意識の個人差がある。この先、もっとバラバラになっていくだろう。
過度に心配しすぎることは精神衛生上よくない気もするし、レベル7の事故が起って何事もなくすむとも考えにくい。
(……続く)