四月、五月、かなり気持が不安定になっていた。ただ、その不安定さを自覚できていたことは幸いだった。
本が読めず、文章も書けず、自分のやっていることが無意味におもえ、気持が沈みがちだった。
二十歳前後、反原発運動に参加していた。その後、運動の世界から離れ、原発に関していえば、賛成ではなかったが、無関心になった。
推進派は利権、反対派は理想のために戦う。どんなにその危険性を唱え、原発が低コストではないといっても、無駄だとおもった。
賛成か反対か、そうした議論は平行線をたどる。それだけではなく、同じ賛成同士、同じ反対同士でも小さな差異を見つけていがみあう。
そういう場所にいることに疲れてしまった。
賛否が分かれるような議論にはなるべく関わらず、趣味の世界で生きていきたいとおもっていた。
震災後、インターネットの原発関係の議論を見ていたとき、東北と関東、あるいは関東と関西といった土地に住む人同士が、罵り合う文言をたくさん目にした。インターネット上では珍しくないことかもしれないが、読んでいてつらかった。
友人知人と会っても、政治や宗教同様、原発の話題はあまりしないようにしていた。
文章にすることにもためらいがあった。
まず自分がどうするかを考えよう。
いざとなったら、いつでも引っ越せる準備をしておこう。マンションにかなり大きなひびが入り、雨もりもした。
今度、大きな地震がきたら、どうなるのか。
あと水道水が飲めず、洗濯物が外に干せないくらいひどい状況になったら、都内に住んで安くはない家賃を払うのはアホらしいなとおもった。
幸いそうはならなかった。でも三月中は判断ができなかった。
それから四月下旬ごろ、浜岡原発停止のニュースを聞いて、これで新規の原発もできなくなるだろうし、脱原発に向うことになると楽観した。
この先、わたしは貧乏で不便になるかもしれない日本の未来を受け入れるつもりだ。
(……続く)