日曜日、急に暖かくなった。日中の最高気温は二十六度。観測史上もっとも早い夏日だったらしい。ところが今は十度を切っている。「煙霧」という言葉もはじめて知った。
気温の変化が激しくなる時期は、腰痛が再発しやすいので、無理をせず、休み休み、仕事をする。
あとは、よく歩く、よく寝る、飲みすぎないこと。
この冬、ほぼ毎日豆腐を食べていた。そのせいかどうかはわからないが、なんとなく調子がいいような気がする。
東日本大震災と東京電力の原発事故から二年。何が変わり、何が変わらなかったか。ここ数日、そんなことをぼんやり考えていた。
ありものですますとか、なければないで我慢するとか、不便を楽しむとか、自分自身の生活はそういう方向でいいかなとおもっている。
寝ころんで本を読んだり、酒を飲んだり、ぐうたらしたり、ふざけたり、たまに弱音や愚痴をこぼしたり、そんな時間を大切にしながら、こじんまりとした暮らしがしたい。
二十代の半ばあたりから、わたしは社会にたいして異を唱えなくなった。社会を変革するより自分の生活を何とかするほうが手っとり早い。そういう考え方に傾いた。保身といえば、保身である。
新居格の随筆を読んでいたら、戦時中、似たようなことを書いている。
《娯楽とは、たのしみであり、休養である。人間の楽しみは、必ずしもそう大袈裟なもの許りではなく、極めてささやかなもののうちにもあり、何でなければといった風の定型的なものでなく、いろいろに取替えて娯楽の対象となし得られるのである》(「生活の新設計」/『心の日曜日』(大京堂書店、一九四三年)
新居格は高円寺で一日二食の単調な生活を送っていた。散歩も買物も近所ですませていた。
アナキストでリベラリストだったが、とくに反戦を訴えていたわけではない。英米の帝国主義を批判し、戦意高揚に加担する文章も書いている。
《長期戦の建前からいって、わたしは昨日生まれたばかりの赤ん坊も戦士であり、毎日毎夜彼等は戦争しているのである。彼等がよく眠り、元気に泣き、すこやかに成長してゆくことは戦争に勝ってゆくことである。また、病人が病気を直してゆくことも、戦いにかつことであり、人々が健康に注意し、さらに、健康を増進することは、明瞭に戦争に勝って行っていることである。(中略)何れにしろ、長期戦に処する国民の生活態度は疲労なき緊張でなければならぬ》(「戦時下国民の課題」/同書)
現状を肯定する。運命を受け入れる。
生活第一、健康第一。
新居格の穏当な思想は状況にたいしては無力だった。
(……続く)