順位戦の最終日、羽生善治さんがA級一位で名人戦への挑戦が決まった。
わたしは一九九六年の王将戦と名人戦の大盤解説会の会場にFAXで棋譜を送るアルバイトをしていた。
当時は定跡も何も知らず、対局を見ても何もわからない。長考にはいって、局面が動かなくなると、ひまでしかたがなかった。たった一手を指すのに、何をそんなに考えることがあるのか不思議だった。
将棋担当の記者に「どっちが勝ってますか?」と質問すると「いやあ、誰にもわからないとおもいますよ」といわれた。
このときの王将戦で羽生さんが七冠王になった。わたしは将棋のわからなさに魅了されて「週刊将棋」の定期購読をはじめた。古本屋で将棋に関する本を買い漁り、羽生さんの本は出れば新刊で買うようになった。
仕事の前に、次の一手問題や詰将棋を解くのが習慣になっている。これがいいウォーミングアップになる。
調子がよくないときは、そのまま仕事をせず、散歩に出かける。気持の切りかえ方、休息のとり方、日々の勉強の大切さ……棋士の本から学んだことはいろいろある。
一年、五年、十年と将棋を追いかけるようになって、棋力はまったく上がっていないのだが、以前よりも将棋を味わえるようになった気がする。
何よりも将棋に関する本の無類のおもしろさを知ることができたのは最大の収穫である。
梅田望夫著『羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる』(中公文庫)を読んだ。
わたしは、今、この本のおもしろさを誰かと共有したくて仕方がない。すごい本ですよ、これは。
羽生善治を「天才」という一言で片づけるのは簡単だけど、どんなふうに「天才」なのかは簡単には説明できない。
そもそもプロ棋士というのは、みんな尋常ではない頭脳の持ち主なのである。
その中で、勝ち続けるトップ棋士というのは、怪物中の怪物である。
『羽生善治と現代』では、そんな怪物中の怪物の羽生さんが、現代将棋の進化に必死でついていこうとしている様子が描かれている。
同時に、将棋の世界を現代社会や梅田さんの現場であるシリコンバレーやコンピュータの世界と比較して分析する。
羽生善治の王座就位式の祝辞で梅田さんはこんな話をする。
《将棋界でこれから起こることは、私たちの社会の未来を考えるヒントにみちています。羽生さんが将棋を通して表現しようとしていることの重要な一つは、まさにこのことだと思います。羽生さんは、そういった現代社会の情報についての最先端の在り方を表現してきた。私たちも、そろそろそのことに気づかなければ、羽生さんに申し訳ないのではないか》
かつての将棋は、ひとりの棋士が新戦法を発明すると、しばらくのあいだ、それで勝ち続けることができた。
しかし今は新手が出ても、あっという間に研究し尽され、それに対抗する手が出てくる。
棋士たちは研究会をひらき、序盤のあらゆる変化を集団で研究している。その研究を怠ると、駒と駒がぶつかる前に、勝負が決まってしまいかねない。
羽生さんは「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」と語る。
将棋にかぎらず、あらゆるジャンルでそういう現象が見られる。
あるていどのレベルまでなら、インターネットの情報だけでも、かなり詳しく知ることができる。いっぽう、誰も手をつけていない、未開拓のジャンルを見つけることは、どんどんむずかしくなっている。
梅田さんは羽生さんの「高速道路」の話を次のように説明する。
《情報を重視した最も効率の良い、しかも同質の勉強の仕方でたどりつける先には限界があり、そのあたりまで到達した者たち同士の競争となると、勝ったり負けたりの状態となり、そこを抜け出すのは難しく、次から次へと追いついてくる人たちも加えて「大渋滞」が起きる。その「大渋滞」を抜け出すには、そこに至るまでの成功要因とは全く別の要素が必要になるはずだ》
高速道路を通って、効率よくレベルを上げても、それだけでは優位性を確保できない。
羽生さんをはじめとする「大渋滞」を抜け出したトップ棋士とそうでない棋士とのちがいは何なのか。
それがこの本のテーマのひとつである。
将棋に知悉していなくても、今の自分の仕事や興味関心にひきつけて読めば、いろいろなヒントが得られるとおもう。