新居格の随筆は、戦前、戦中の高円寺の話が出てくる。力の抜けた、ちょっとやる気のないかんじの文章もいい。大正デモクラシーを通ったリベラルな知識人で、今読んでも古びていない。
《この国ではアナキストと云えばひどくいやがられているようだ。
私はその一人である。ではあるが私は食うための売文に忙しいので遺憾なことではあるが、その原理を十分研究する暇がない》(「或る日のサロンにて」/『生活の錆』岡倉書房、一九三三年)
新居格は仲間内から「サローン・アナキスト」といわれたり、コミュニストからは「プチ・ブル」や「反動」と揶揄されたりした。それにたいし、新居格は「私は私の道を行くである」と開き直る。
新居格の思想信条よりも文章から伝わってくる生き方、あるいは姿勢にわたしは共感した。中でも随筆の表題の「生活の錆」という文章が素晴しい。
《僕は号令を発するような調子で物を云うことを好まない。肩を聳やかす姿勢は大きらいだ。啖呵を切るような云い方をするのが勇敢で悪罵することが大胆だと幼稚にも考えているものが少なくないのに驚く。形式論理はくだらない。まして反動だの、自由主義だの、小ブルジョアだのと云う文字を徒らに濫用したからと云って議論が尖鋭になるのではない。どんなに平明な、また、どんなに物静かな調子で表現しても内容が尖鋭であれば、それこそ力強いのだ》
一九三〇年代にこんな文章を書く評論家がいたことに驚いた。新居格からいろいろなことを学びたいとおもった。
新居格の著作は古本屋でも入手困難なものが多いのだが、地道に探して読み続けてきた。
それだけに戦時中に刊行された『心の日曜日』(大京堂書店)を読んだとき、「あれ?」とおもってしまったのである。
(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)