《世界の人間はだんだんコスモポリタンになってゆくのだろうか? そうなるだろう。尤も国家意識民族意識は永遠に消えないであろうという理論も立派になり立つ。今まで世界連邦的な試みはあったが悉く失敗した。今の世界の大勢もなお民族意識の強烈なことを示している。しかし、いつかは、全世界が融合してゆくであろう。その時期はいかにも百年二百年後の近い将来ではないが、おそらく千年以内であろう》(山田風太郎著『戦中派焼け跡日記』)
夜中、ふとキンドルで山田風太郎の文章を読んでみたくなって、『戦中派焼け跡日記』と『戦中派闇市日記』(いずれも小学館文庫)をダウンロードした。
山田風太郎の日記は、読むたびに、その思考の深さ、スケールの大きさに驚かされる。すくなくともわたしはこの日記を書いていたころの山田風太郎よりも二十歳以上年上だし、情報統制のあった戦中、そして戦後すぐの時代と比べれば、ものを知るということに関しては恵まれているだろう。でも考える力や想像力のようなものは衰えている気がする。
山田青年にしても、将来、まさか自分の日記が、アメリカのアマゾンという会社が作ったキンドルという電子書籍端末で売られる日がくるとは予見できなかったちがいない。自作の小説も漫画になり、それも電子書籍になっている。
とんでもない未来だ。
今は想像すらできないことが未来には起こりうる。
わたしは世界の人間がコスモポリタンになってゆく未来を夢みたい。
ほんの四、五百年前まで(今の)となりの県や市町村の人間同士が殺し合いをしていた。バカげているが、当時は誰もそんなふうにおもっていなかった。
今の国家意識や民族意識も消えはしないが、それらの意識はちょっとしたお国自慢くらいのかんじになるかもしれない。
そうなるのは百年後か千年後かはわからないが、他国や他民族を蔑視することは恥ずかしいという意識くらいは今すぐにでも持てるとおもう。
全世界が融合するという未来はうまくイメージできない。でもその方向はまちがっていない気がする。