自分にできる最高の仕事をしても食べていけるとは限らない。
この現実におもいあたる人はけっこういるのではないか。
最高の仕事と職業として通用するかどうかは別である。技術もあるにこしたことはないが、それがすべてではない。
すこし前にラジオ深夜便の『隠居大学』(ステラMOOK)の天野祐吉と小沢昭一の対談を読んでいたら「万人にわかる芸はつまらない」という言葉があった。
天野祐吉が「俳優というのも、まあ、いい加減といえばいい加減な職業ですね」といったことにたいし、小沢昭一が「はっきり申し上げていい加減です」と答える。
逆にふたりは俳優や芸人は大真面目にやるだけではいけないという。
そのあとの小沢昭一の言葉が深い。
《どこか力が抜けているところがあるのがいいのであって、「俺は俳優の道をまっとうしよう」なんて頑張ってる奴は、そんなにいい表現ができないのが多いです、不思議と》
さらに「俳優はそんなに好きじゃない」と語り——。
《小沢 こんなことを言っちゃあナンですが、お客様を喜ばせるためだけに身を張ってやることに、空しさを感じるようになったんですね。もっと自分自身がのびのび楽しいような、人のためじゃなく自分のためにやる部分を残しておきたい、と》
大道芸や物売り、芸能史などの研究、ハーモニカ、写真、エッセイ、ラジオ……。小沢昭一は俳優以外の活動も多岐にわたる。
「自分のためにやる部分」を残す。
人のためにサービスに徹することを否定する気はないが、それだけだとやはり「いい表現」にはならない気がする。もっとも「自分のためにやる部分」だけになると、人に伝わりにくくなる。そのバランスがむずかしい。
《小沢 これはすごい話をしているんだということを、認識できない人にとってはつまらない、退屈な話なんです。だから芸をする側と観る側との勝負といいますか、わかんなきゃしようがない、お前が知らないから面白くねえだけだよっていう、居直ったような芸。そんなものが近頃はないんじゃないでしょうか。やたら親切で、万人のお客さんがわかるようにという芸が多い》
ここにも「ない仕事」のヒントはある。
世の中全体が、親切でわかりやすさを求める傾向を物足りなくおもう人もいる。
本来、サブカルチャーの世界は既成の文化に物足りない人たちのための表現をする場だったところもある。
難解すぎて伝わらない人が増えれば、もっとシンプルで万人向けのをやれという話になる。
もちろん職業としてお金を稼ごうとおもったら、その考えは簡単に切り捨てることはできない。わかりやすくする工夫をしながら、わかりにくいもの、わかる人にしかわからないものをどれだけ残せるか。
(……続く)