2016/01/12

近鉄の時刻表

 十日、今年初の西部古書会館。古書会館の場合、安くていい本なら初日の午前中、のんびり本を探すなら二日目の昼以降がおすすめだ。初日のお客さんが、買わなかった本の中にもおもしろい本はある。

 この日の収穫は、近鉄の時刻表(一九八五年)だ。この年、鈴鹿から津の高校に通うため、はじめて近鉄の定期券を持つようになった。時刻表そのものは、とくに使い道はないのだが、時刻表の中の路線図、近鉄百貨店の広告を見ているだけで、忘れていたことをおもいだす。

 近鉄沿線は名古屋、大阪、京都につながっている。わたしは高校卒業するまで、ほとんど沿線の外に出たことがなかった。またその外で暮らそうともおもっていなかった。

 高校三年のとき、父は今のわたしの年齢で東京に単身赴任していた。父は自動車の部品を作る工場で働き、風呂なし台所トイレ共同の四畳半の寮に住んでいた。

 一浪した後、東京の私大に入学し、そのまま父の住んでいた寮の部屋が空いていたので転がり込んだ。
 一九八九年の春——後にバブルと呼ばれる好景気のころの話である。もし十代後半がこの時期と重ならず、父が単身赴任で東京にいなかったら、たぶん上京するという選択肢はなかった気がする。父の会社の寮の家賃は光熱費込みで月千円だった。

 近鉄文化圏から東京に暮らすようになって二十七年。
 二十七年前と今では世の中もずいぶん変わった。人生は小さな選択のくりかえしで、その選択のひとつひとつはどっちを選んでもたいしたちがいがないようにおもえる。

 ただ、どこに住むかという選択は、想像以上に大きなちがいが生じることがある。
 近鉄の時刻表を見ながら、もし近鉄沿線に暮らし続けた場合の自分を考えてみる。どうなっていたか、想像もつかない。