大晦日、ペリカン時代。午前十一時五十五分くらいに飲みに行く。店ではラジオの紅白歌合戦を流していたらしい。わたしも家で見ていた。島津亜矢の「帰らんちゃよか」は、ばってん荒川が歌っていたと教えてもらう。九州ではかなり有名な曲らしい。都会で暮らす(たぶん)ダメなかんじの息子に「心配せんでよか」「帰らんちゃよか」と歌う。こっちはこっちでなんとかやってるから、おまえは自分のおもうように生きろと……。
ばってん荒川は、おばあさんの扮装でこの歌を唄っていた。
自分以外の誰かになりきって何かを伝えるというのは——演歌ではわりと王道の表現方法だ。紅白歌合戦は、時代やジャンルによる表現方法のちがいを見ることができておもしろい。
一日、年越し蕎麦のつゆ(すこし味を変えて)で雑煮作る。
昼すぎ、氷川神社に初詣。そのあと商店街を散歩する。いつもと比べるとかなり人が少ない。
ここ数年の高円寺は、大晦日も元日もスーパーやドラッグストアは営業している。
学生のころは、十二月三十日から一月三日くらいまで、ほとんどの店が閉まっていた(ような記憶がある)。帰省する近所の友人のアパートをたずねて、冷蔵庫の中身をもらっていた。
二十代の十年間、年末年始を高円寺ですごした。当時、自分の周囲の上京組で正月に東京に残るのは少数派だった。二十代のわたしは、多数派か少数派かの二択があれば、なるべく後者を選ぶことにしていた(ルールといえるほど厳密ではない)。
・大学を卒業する/しない=しない。
・就職する/しない=しない。
・朝型/夜型=夜型。
・携帯電話をもつ/もたない=もたない。
そういう選択を五年十年と続けていたらどうなるのか。
自分にもわからない。ある意味、自分をつかった人体実験をしているようなものだ。
その結果、すこし変な人になったかもしれない。
好きでやっていることなので、心配せんでよか。