2016/07/12

ささやかな人生

 日曜日、昼すぎ、近所の小学校に行って、参議院選挙の投票。久しぶりに外食。ラジオでプロ野球のデーゲームを聴いて、夜は選挙特番を観る。

 駒沢敏器著『語るに足る、ささやかな人生』(小学館文庫)を読みはじめる。すこし前に読んだ平川克美著『何かのためではない、特別なこと』(平凡社)の中で絶讃していた本だ。

 駒沢敏器は二〇一二年三月、五十一歳で亡くなった。今、彼の本の何冊かは入手難になっている。
『語るに足る、ささやかな人生』は、アメリカのスモールタウンをまわった紀行文集だ。都会でもなく、観光地でもない、アメリカの発展から取り残された寂れた町をひたすら回る。

《しかしスモールタウンが都会と比べてネガティブなばかりの場所なのかどうか、そこは視点を少し変えてみなければならない。たとえばそこでは、家に鍵をかける習慣などいまだにないし、住民どうしが皆顔を知っているから、一定の距離を保ちながら互いを支え合って生きている。小さな町だけにひとりひとりの役割が与えられており、子供から大人まで、皆等しくその町の構成に参加している。犯罪はないに等しく、ささやかだけれど健やかな人生を描くことは可能だ。自分として生きることに手応えがあり、そこは確かな誇りにつながったりもする》

 昔ながらのコモンピープル(庶民)であることの美徳がこの本には綴られている。

《自分の生きる道筋を明確に立て、そのための地歩固めを早いうちからおこない、日々怠けることなく地歩に上に功績を築き上げていく意志を具体的・実用的に持たなければ、その人はもはやアメリカ人ではなかった》

《確かにスモールタウンは、見方を変えてみると住みやすい場所だ。土地は安いし自然は豊かだ。コミュニティもあるし、基本的な商店は一応揃っている。犯罪はないに等しく、子供を育てるには最適の場所かもしれない》

 あるスモールタウンの住民は駒沢敏器に「ここでは皆知り合いです。誰に対して何をしてあげればいいかを、ここに住んでいると学ぶことができます。そういう察知能力とか、個人が個人にしてあげられることの……あるいはすべきことの責任が、必要なこととして身につくんです」という。

 だからスモールタウンはいいという単純な話ではない。生活面は不便だし、よそ者に厳しいところもあるだろう。一概にはいえないが、アメリカのスモールタウンの人々は、都会の人より信仰心が篤く、古い因習が残っていて、家族の結びつきも強い。それゆえ、個人の自由は制限される。
 そのあたりは「昔はよかった」という議論と似ている。

 旅人としてスモールタウンを訪れたら、のどかで暮らしやすそうにおもえるかもしれないが、そこに住むとなると話は別だ。仕事の数も限られている。
 スモールタウンの価値観は、効率化や合理化と相容れない。

 今、自分のいる場所でささやかだけれど健やかな人生を送るにはどうすればいいのか。