連休中(七月十七日~十九日)、三重に帰省。父の四十九日。父の話は、今月発売の『小説すばる』にもすこし書いた。
父はおとなしい人だった。わたしは父に怒られた記憶がない。父の死は悲しくなかった。自分は父の子でよかったとおもっただけだ。身内だけの家族葬をすませ、帰京して、いつも通り仕事をした。ただ、仕事以外のことはずいぶん不義理をしてしまった。
父は最後の入院まで、ほとんど苦しまなかった。亡くなる二週間前に父の用事(マンションの更新の保証人)を頼み、ちゃんと返事をもらっている。
子どものころ、鈴鹿の子安観音付属の幼稚園に通っていた。地図を見てみると、父が働いていた工場とすごく近い。幼稚園の園長さんは「ゴトウセンセイ」といって僧侶で絵のうまい人だった。
父が亡くなったあと、母が子安観音の人に相談すると、神戸(かんべ)城のすぐそばにあるお寺を紹介してもらった。住職さんは中学生のときに書いた作文が吉永小百合のデビュー作の原作になったらしい。小説家志望だったとも。
帰りぎわに「いい幼稚園に入れてもらったことを感謝しなさい」といわれた。
父と母は家からこのお寺のあたりまでよく散歩していた。両親の散歩コースにはお寺や小さな神社がたくさんある。
十九歳まで鈴鹿に暮らしていたが、知らないことばかりだ。東京にいて何もできないわたしのかわりに母方のおばやおじが母を元気づけたり、いろいろな手続きをすませてくれたり……感謝してもしきれない。