2020/10/14

半信半疑

 すこし前まで二十五、六度だった気温が急に下がる(とおもったら、また上がる)。冷えもそうだが、わたしは寒暖差にも弱い。肩凝りがひどい。そろそろコタツ布団を出す季節か。連日、朝昼晩と三回くらい寝ている。一日の半分くらい寝ているかもしれない。年に何回かそういう時期がある。からだが休息を求めているのだろう。従うしかない。

 火曜日、仕事ようやく一段落。
 山田風太郎著『人間万事嘘ばっかり』(ちくま文庫)を再読する。
「ハリの話」は中共の話からはじまる。中国礼賛一辺倒の報道を山田風太郎は警戒している。

《いま手ばなしで中共の讃歌を歌っている人々は、ちょうどかつてのナチス讃美にのぼせあがっていたのと同じタイプの連中で、ああ、またはじまったか、と憮然たらざるを得ない》

 初出は一九七二年七月(『週刊ゴールド』)。文化大革命期、日中国交正常化の二ヶ月ちょっと前に発表されたエッセイである。
 さらに同エッセイはこう続く——。

《要するに、中共にせよアメリカにせよ、スエーデンにせよフランスにせよ、光があれば必ず影がある。光だけの国家があるものではなく、その光のあたっている一面ばかり云々するやつがあるとすれば、その論旨や報道には必ず虚偽があると見ていい》

 山田風太郎、五十歳。慧眼である。ここでは「光」と「影」という言葉がつかわれているが、たとえば「健全」な社会というのは「不健全」を排除していく社会でもある。

 それとは別に山田風太郎は麻雀とハリを発明した中国人はすごいともいう。
 ギックリ腰になった風太郎はハリ治療を受け、快癒する。いっぽう「普通の医者にゆけば癒るべき病気が、ハリを盲信するあまりにとり返しのつかない手遅れとなる危険はある」と警戒心をとかない。

 終始、半信半疑。けっして盲信しない。わたしはそういう姿勢の人が書くエッセイが読みたい。