『フライの雑誌』次号のエッセイの校正――「ペッテリーさん」という人名を「ベッテリーさん」と書いている。半濁点と濁点が見分けられないこと多し。老眼か。
読むのもそうだが、眼鏡をしているとペンで字を書くとき、よく見えない。かれこれ二年くらい遠近両用眼鏡を買うかどうか迷っている。
金曜日の昼、荻窪、古書ワルツ。はなや(中華)でラーメンと半チャーハンのセット。涼しい。夜、コクテイル。戸石泰一著『五日市街道』(新日本出版社、一九八〇年)を買う。
古山高麗雄著『袖すりあうも』(小沢書店、一九九三年)の「逝きし人・触れし人」の一番最初に名前があがっているのが戸石泰一である。
《戸石泰一君とは、昭和十七年の十月に、仙台の歩兵第四連隊の同じ中隊に召集されて、知り合った》
古山さんは軍隊にいたころ「孤独に閉じこもっていた」が「戸石泰一君だけは、本音の話ができると感じた」と回想している。
古山さんは外出日になると、戸石家に行き、彼の妻に文学書の購入を頼んだ。当時、陸軍の一等兵が兵舎に文学書を持ち込むのは禁止されていた。発覚すれば、処罰される。その違反の協力を新婚時代の戸石夫妻に頼んでいた。
戸石泰一著『消燈ラッパと兵隊』(KKベストセラーズ、一九七六年)に古山さんの話が出てくる。
戸石泰一は一九一九年仙台生まれ。『五日市街道』所収の短篇の何作かは古山さんが編集者をしていた『季刊芸術』が初出。同書は没後刊行された短編集で「五日市街道」「三鷹下連雀」は三鷹を舞台にした作品だった。
戸石は高校の講師をしながら小説を書いていた。
一九七八年十月三十一日、急性心不全で亡くなった。享年五十九。命日の前日に『五日市街道』を古本屋で手にとったのは何かの縁か。