2021/01/16

視野の狭さ

 アンディ・ルーニー再読。「政治は子どもの遊びか?」と題したコラムがある(『下着は嘘をつかない』北澤和彦訳、晶文社)。「わたしは民主党員です」という十一歳の子どもからの手紙へのアンサーとして書かれたコラムだ。ルーニーの父は「いつも共和党に投票していたが、熟慮の末ではなかったと思う」と回想し、ルーニー自身、両党の細かな相違点は「訊かないでいただきたい」と記す。

《ふたつの政党のちがいを訊いたとき、父は、民主党は外国がアメリカで売ろうとして輸出する製品の輸入関税を下げようとし、共和党は外国製品を締め出すために関税を上げようとする、と教えてくれた》

 アンディ・ルーニーは一九一九年生まれ。彼の子どものころの話だから、一九三〇年前後の話だろう。今のアメリカでもその傾向があるようにおもえる。

《自分の応援していた候補が落ちると、われわれはその敗北を耐え忍び、世の中は実際にそう変わるまいと確信してまた仕事に出かける》

 彼自身はどちらの党も支持しない。政党に関係なく、現職の大統領に反対の立場をとる——と他のコラムで書いている。常に「中立」でいることが彼の政治信条だった。

「共和党派か民主党派か」(『人生と(上手に)つきあう法』井上一馬訳、晶文社)と題したコラムに以下のような一節がある。

《民主党支持者は、(私が勝手に思うには)、リベラルで、性善説を取り、自分たちの生活をまもるために政府の助けが必要だと考えている。(中略)さらに貧乏人と無学な人間は不平等な制度の犠牲者であり、その人たちの環境は自分たちが手を差しのべれば、改善されると信じている》

《共和党支持者は、(私が勝手に思うには)、保守的で、人間が性悪説を真摯に受け止めることがもっとも大切なことだと考えている。(中略)彼らは貧乏人に対して無感覚というわけではなく、貧乏人は働こうとしないから貧乏なのだと考える傾向がある》

 四十年くらい前のコラムだから、今はちがうかもしれない(そんなに変わっていないかもしれない)。 「視野の狭さ」(『人生と(上手に)つきあう法』所収)というコラムにはこんな言葉がある。

《(人間は)明日の安全のために今日の人生の楽しみをなんらかの形で犠牲にすることを快しとしない》 

 わたしはちがうといいたいところだが、自信がない。