2021/01/07

ソローの話

 昨年十一月にマクシミリアン・ル・ロワ文・彩色、A・ダン絵『自由を求めて「森の生活」ソローの生き方を漫画で読む』(原正人訳、いそっぷ社)が刊行された。『シンプルに暮そう! ソロー「森の生活」を漫画で読む』の姉妹版で『自由を求めて〜』のほうはソローの思想と実践に焦点を当てている。

 巻末のミシェル・クランジェ(リヨン大学名誉教授)へのインタビューでは「傑作『森の生活』の中でも『日記』の中でも、ソローは『よく生きる』ということを定義しようとしました。それは自分自身を陶冶し、シンプルな暮らしを心がけ、お金や消費に抵抗することに他なりません」といい、その思想は「不服従」ではなく「反抗」という言葉のほうがより忠実に彼の立場を示していると解説——。

《一般に流布しているイメージでは、ソローとは非暴力の賢人ですが、それは見直す必要があるでしょう》

 先月末、而立書房から『ヘンリー・ソロー全日記 1851』が刊行された。
 ソローは一八一七年生まれ。『コンコード川とメリマック川の一週間』(一八四九年)と『森の生活』(一八五四年)のあいだに書かかれた日記だ。どの頁も面白い。
 百七十年前の一月七日の日記の一節にこんな言葉がある。

《科学は人間が知っているすべてではない。科学に携わる人のためのものだけを表しているにすぎない。木こりは箱の罠でマスのとり方、カエデの樹液をとる桶をマツ材で作る方法、大きな樹心のハゼノキかトネリコでの雨樋の作り方を、私に話してくれる。彼は自分の経験した事柄を人間生活に関連させることができる》

 いっぽうソローは、十九世紀のアメリカでヒンドゥー教や東洋思想の本まで乱読していた知識人である。読書家であると同時に、自然と職人の知恵を愛した。鶴見俊輔は、ソローが鉛筆作りの名人だったことをその思想の「根拠地」になっていると指摘する。

 哲学、思想を学びつつ、自然に傾倒した人物といえば、日本だと辻まこともそうかもしれない。辻まことは書物偏重に警鐘を鳴らしていたショーペンハウエルの影響を受けている。
 定義上は、ソローや辻まことも反知性主義者に当てはまる(詳説&異論あり)。

 反知性主義には、西洋近代の哲学にたいするカウンターの思想という一面もあるのだが、今は単なる「バカ」の言い換え語としてつかわれがちなのが残念だ。

『ヘンリー・ソロー全日記』の帯に「全12巻予定、順次続刊」とあった。わたしは一八五九年の『日記』が読みたい。