土曜日曜、高円寺の西部古書会館。二日連続で岡崎武志さんと会う。精算後、喫茶店で雑談。仕事の話、街道の話など。
最近、西部でばかり本を買っている。あとこの一週間くらい部屋の掃除ばかりしている。いろんな本が行方不明だ。買ったり売ったりしているから、もう売っちゃたかなとおもって買い直すと忘れたころに出てくるのはいつものことだ。売らなければよかったと悔いることもあるが、売らなければ本を買い続けられない。
何を売って何を残すか。その判断はそのときどきの気分にもよるが、対談や座談集はなるべく売らずに残しておくことが多い(なんとなく探すのに苦労する)。
古書会館では『街道歴史散歩』(日本通信教育連盟)という冊子を買った。刊行年は未記載。刊行年のわからない場合、文中に「国鉄/JR」でJRであれば一九八七年以降のもの、東京二十三区の電話番号が「九桁/十桁」で十桁なら一九九一年以降(例外あり)、郵便番号が「五桁/七桁」で七桁なら一九九八年以降——と判別できる。都内の電話番号が十桁、郵便番号は五桁。ほかにも六十里越え・羽州街道の「羽黒手向・楢下」のところに「JR山形新幹線」とある。山形新幹線の開業は九二年。九二年から九七年に刊行された本だろう。あと市町村名の変更など、もうすこし読み込めば、年代を特定できそうだ。
ちなみに日本通信教育連盟はユーキャンの前身の組織。九〇年代に「街道」の通信講座があったのだろうか。
日曜日、『話の特集』の九一年八月号も買った。「特集 ゆっくり瞑れ!竹中労」の号で刊行時に買った記憶があるのだが、いつの間にか行方不明になっていた。
座談会では出版プロデューサーの伊藤公一さんがこんな話をしている。
《竹中さんが無署名から署名家になったのもルポライターと言い出したころですね。『処女喪失』という本で初めて竹中労という名を使った。だから無署名時代から付き合いのある人は「竹」とか「タケさん」と呼ぶ。それ以後の人は「ロウさん」が多い。それで何となく知り合った年代の区別がつく》
竹中労が亡くなったのは九一年五月十九日。三十年前か。当時、玉川信明さんと読書会をしていて、竹中労と玉川さんは古い知り合いで「今度会わせてやるよ」といわれていた。そのころの自分が何をやっていたのか。二十代の自分は何を読んで何を考えていたのか。記憶が薄れている。ただし、西部古書会館には通っていた。