2021/07/05

国立と野方

 雨続き、部屋の湿度は七〇%以上。部屋干しの洗濯物がなかなか乾かない。肩凝りがひどい。
 七月の即売展一覧を見たら、金曜日から西部古書会館の古書展があることに気づき、午後三時ごろ、会場へ。図録『特別展 くにたちを愛した山口瞳』(一九九九年)を購入。二十年以上前の図録だけど、古本屋で見かけた記憶がない(さっき見たら「日本の古本屋」にはあった)。山口瞳の年譜その他をじっくり読む。生まれは東京府荏原郡入新井町。今の大森駅(大田区)の周辺。そのあと新井宿や戸越銀座のほうにも移り住んでいる。何度か『血族』(文春文庫)を読んでいるが、このあたりの地名はピンとこなかった。
 そのあと川崎、麻布、鎌倉……と転々。結婚して文京区関口台町に暮らし、寿屋(サントリー)時代は川崎の社宅に住んでいた。
 国立に引っ越したのは一九六四年三月、山口瞳三十七、八歳か。山口瞳は二十六年十一月生まれだが、一月生まれという説もある。

 街道関係の図録を探すようになってから、文学関係の大判の図録を見つける頻度が増えた気がする。これまでは棚を見ているようで見ていなかったともいえる。買う本の種類が変わると棚の見方も変わる。

 福原麟太郎著『この道を行く わが人生観』(大和書房、一九七一年)は別紙のサイン本。福原署名本は西部古書会館でよく見かける。地元だからか。福原麟太郎は野方に住んでいて、たまに練馬まで散歩した。帰りはタクシーに乗った。
 わたしも高円寺から練馬まで歩くことがある。帰りはバスに乗る。

 高円寺の北口を出て、早稲田通りのあたりから大和町、野方になり、中野区になる。「かわる」という随筆では町名番地の改称のことを書いている。

《私の番地は、中野区野方町一丁目五七六であったが、こんどは野方(町をぬいて)四丁目三九の九となった》

 日曜日昼すぎ、小雨の中、西部古書会館。旧街道、峠の本など数冊買う。二十代、三十代のころなら買わなかった本ばかり。年をとると、食べ物の好みが変わるように読書傾向も変わる。最近、読書に「感動」とか「心揺さぶられる」とかいったことを求めなくなっている。

 そのあと都議選、近所の小学校へ。一つの党が勝ちすぎて調子に乗るとロクなことがないというのが、わたしの政治認識(床屋政談レベル)である。