2021/07/10

八木義德展(十三年前)

 木曜日小雨。新宿のち神保町。すこし前の話だけど、上京以来、一番通っていた新宿西口の青梅街道の宿場町が描かれたガード下のトンネル抜けてすぐのところにある金券ショップがなくなった。
 新幹線の回数券や図書カード、たまにレターパックなどを何軒かまわって一番安いところで買う。この日は一万円の図書カードを九千五百円で買った。新型コロナの影響か、新幹線の回数券が安い(東京−名古屋八千円台のチケットも見た)。

 コロナ禍中の出来事といえば、野菜の値段のことを記しておきたい。昨年くらいからジャガイモが高騰している。高円寺の最安値のスーパーですら一個七十円。一時期、百円ローソンで売っている小さなジャガイモ(二個入り)が二百円以上だった。ジャガイモ高いから冷凍の里芋ばかり買っていた。冷凍野菜はだいたい価格が安定しているのがいい。
 あと高円寺に関しては小店舗営業の八百屋さんが何軒かできた。だいたい安い。

 新宿駅から都営新宿線に乗り神保町。特別企画展『文学の鬼を志望す 八木義德展』(町田市民文学館ことばらんど、二〇〇八年)を買う。前の日に見つけて買おうかどうか迷ったのだが、どうしても欲しくなった。新刊の『八木義德 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)も気になる。
 八木義德は一九一一年十月北海道室蘭生まれ。暇さえあれば、いろいろな作家の年譜を眺めているが、八木義德の半生はほんとうに壮絶だ。文学展パンフには師・横光利一のこと、野口冨士男との半世紀におよぶ交友について記されている。
「円の会」では八木義德、野口冨士男、芝木好子、青山光二、船山馨、豊田三郎らが集まり、文学談義を交した。会は高円寺の芝木家で行われることもあった。一九五〇年から三十年以上続いたようだ。

 戦中、八木義德は中野区川添町(現・東中野一丁目)に住んでいたこともあった。
 コロナ禍以降、わたしは高円寺から東中野までよく散歩するようになった。神田川の遊歩道がいいのだ。川添町と呼ばれていたあたりは線路の南側の“川沿い”にある(川添公園という公園がある)。

 町田市の山崎団地に移り住んだのは一九六九年一月——五十七歳のとき。それで町田市民文学館で文学展が開催されることになった。

 今年に入って田畑書店は野口冨士男の『巷の空』、田畑書店編集部『色川武大という生き方』も刊行している。創業者の田畑弘は一九四五年に京都で三一書房を興した一人ということを同社のホームページで知る。

 それはさておき「文学の鬼」ということでいえば、わたしはまったくそういう生き方をしていない。

 世の中の価値軸とズレたところで生きる——そこに開き直らず、悩んだり迷ったりしながら言葉を紡いでいく。わたしはそういう文学が好きだし、できれば自分もそういう文章を書いていきたいとおもっている。自分の考え方に同調してほしいわけではない(そんなことは無理に決まっている)。ただ、個人個人の趣味嗜好を鋳型にはめていくような思想や主義とは距離をとりたい。わたしの理想を突きつめていくと“棲み分け”ということになる。