寒い。貼るカイロのおかげでどうにかなっている。電気代の値上がりが予想されるが、夏の冷房はそんなにつかっていないので、冬の暖房代はしょうがないと諦める。年々、体力や根気は衰えているが、その分、不調時のやりすごし方は向上している。
先週の土曜日、西部古書会館。初日ではなく二日目。『神奈川県立金沢文庫開館75周年記念 企画展 繪地圖いろいろ』(神奈川県立金沢文庫、二〇〇五年)、『甲賀水口 歩みと暮らし』(水口町立歴史民俗資料館、一九九四年)など街道資料を買う。
滋賀の水口宿(東海道)は一度歩いている。郷里の鈴鹿からもわりと近い。
『甲賀水口 歩みと暮らし』に「横田の渡し」の記述あり。
《水口宿の西方横田川では、幕府により通年架橋が許されず、渇水期を除き船渡しが行われました》
水口あたりでは野洲川が横田川になる。地図を見ると、横田川の渡し舟跡はJR草津線の三雲駅がもより駅だ。街道も川も土地ごとに呼び名がちがって、ややこしい。滋賀県の野洲川、草津川などは周辺の地面よりも高い位置を流れる天井川でもある。時代とともに川の流れは変わる。今、草津宿付近の天井川は公園になっている。
日本の一級河川は約一万四千もあり、名前すら知らない川がたくさんある。
……ここまで書いて中断する。天井川の話をもうすこし書くつもりだったが気が変わる。
気がつくと金曜日、再び西部古書会館二日目。『秋岡古地図コレクション名品展』(神戸市立博物館、一九八九年)、庄野潤三著『山の上に憩いあり 都築ヶ岡年中行事』(新潮社、一九八四年)など。先週六千七百円、今週三千二千円。年末だし、最近、古本を買い控えていたのでよしとしよう。
『山の上に憩いあり』は帯の背に「河上徹太郎、福原麟太郎の両先達を偲ぶ」とあった。福原麟太郎と庄野潤三の「対談 瑣末事の文学」も所収。
「『随想全集』のあとに」の庄野潤三の言葉——。
《身辺の何でもないようなことを捉えて、これを芸術的な纏りのある一篇の随筆に仕上げる。いいかえれば、個人の日記の中にしか書きとめる値打ちのないように見える事柄を、人間、人生に通じる深いひろがりを持つものにする》
同書「福原さんの思い出」に近代日本文学館設立のための色紙展の話が出てくる。
《福原さんがその時、出されたのは「静かに過すことを習へ、聖典のことばを誌す」であった》
福原麟太郎著『この道をゆく わが人生観』(大和書房、一九七一年)の「老いの術」も色紙展の話を書いているのだが……。
《「われとともに老いよ ベン・エズラ法師のことばなり。ロバート・ブラウニングの詩にいふ」と記し私の名を麟とだけ書いて、どうも落ちつきがわるいので、小林淳男大人の刻んでくれた朱印を押してみたらますますこみあって来て、どうも失敗作であった》
「静かに過すことを習へ」「われとともに老いよ」どちらが正しいのか。本人の記憶が正しいとはかぎらない。
そのあと福原麟太郎著『野方閑居の記』(沖積舎、一九八七年)の「治水」を読む。
(追記)「われとともに老いよ」は「失敗作」とあるから、色紙展には「静かに過すことを習へ」を提出したというのが事実に近いかも。