土曜昼すぎ、西部古書会館。山本光正著『房総の道 成田街道』(聚海書林、一九八七年)、上方史蹟散策の会編『熊野古道』(向陽書房、一九九五年)など。『成田街道』は署名本だった(書き込み多し)。『斎藤茂吉資料』(斎藤茂吉記念館建設実行委員会、一九六五年)も買う。
夕方、馬橋稲荷神社の祭を見に行き、パエリアをテイクアウトする。生ビール飲む。昨年も同じ屋台のスペイン料理を食べた。
仕事の合間、池田香澄『とはずがたり 全訳注』(上下巻、講談社学術文庫)の街道絡みのところをちょこちょこ読む。学術文庫の書き下ろし古典全訳注のシリーズ、品切本の中には定価の倍くらいの古書価がついているものがある。『とはずがたり』の下巻、東海道の旅も綴られている。「美濃の国赤坂の宿」を通る。美濃廻り東海道である。巻末の年譜を見ると一二八九(正応二)年二月、「作者都を出立。東海道の旅」とある。作者(九我雅忠女)は三十歳か三十一歳。西行に傾倒している。やはり西行は避けて通れないのか。
本を読んでいるうちに次に読みたい本が見つかる。文章を書いているうちに次に書きたいことが見つかる。知りたいことがすこしずつ増えていく。
今は街道本を中心に読んでいるが、そこから派生する形で地図を見たり、古典を読んだり、歩いたりすることが楽しくなった。あと何年仕事を続けられるかわからないが、読みたい本、歩きたい場所はいくらでもある。生活さえ行き詰まらなければ、退屈しのぎには困らないだろう。問題は生活の持続である。