十一月三十日(日)、「紀田順一郎先生を偲ぶ会」に行く。東京メトロ丸の内線・新高円寺駅から南北線の麻布十番駅へ。
学生時代、麻布十番(もよりは六本木駅)にあった情報紙の事務所で月二日くらいアルバイトをしていた。当時、南北線も大江戸線もなく、高円寺から山手線の恵比寿駅で日比谷線に乗り換えて六本木駅まで行っていた。この日、麻布十番駅を出たところでコンパス片手に地図を見ていたら、とんぼ書林さんに会った。会場には十五分くらい前に着いたので神明坂を下り、元神明宮(天祖神社)に寄る。東京タワーが近い。元神明宮から東京タワーまで五百メートルくらいだが、見える場所は限られている。
紀田先生を偲ぶ会、推理小説、幻想文学、大学の関係者が多かった。あとコンピュータ関係(紀田さんはATOK監修委員会の座長でもあった)の人もいた。荒俣宏さんが司会進行だった。
荒俣さんは紀田さんの小学生のころの作文(占領期の子どもが見た米兵の話)を読み上げた。
紀田さんのメインの仕事ではなかったかもしれないが、古本エッセイを愛読していた。コラムも好きだった。
帰りは丸の内線の新中野駅で降りる(新高円寺駅で降りるより五十円安い)。三徳でオリーブオイルを買い、東高円寺の天祖神社に寄る。家に着いたら一万歩ちょっと。
その前日、二十九日(土)の西部古書会館で『品川歴史館特別展 中原街道』(品川区品川歴史館、二〇一〇年)を買う。街道関係の図録を集めはじめたときから何度か手にとっていたのだが、そのたび値段(三千円)を見て棚に戻していたのだ。結局、三千円で買った。
中原街道は中世(室町期?)の東海道という説もある。都内だと東急池上線(五反田駅、洗足池駅など)のルートと重なっているところもある。古代から平塚宿は重要な場所だった。
江戸期の東海道、中原街道、“古”東海道——調べれば調べるほど、わからないことが増えていく。バラけていた点と点がつながっていく楽しさもある。